痛めると傷めるの違い

足腰に痛みが生じるような状態になることは“痛める”と表現されます。痛めるような状態では、早く治療すれば、痛めたところが傷になって、治りにくい状態になることはないはずです。ところが、治りにくい状態となって傷が残るような状態となって、いつまでも痛みが続くような状態となると、これは“傷める”と表現されます。
これは当たり前の文字の使い分けとしてされてきましたが、テレビ番組のテロップを見ると、「腰を痛めた」と掲載されることが多くなっています。痛めた程度なら、ちょっとした休息、治療で治りそうなものですが、番組の内容に注目していると、どう見ても「傷めた」だろうということも「痛めた」になっています。
私どもがテレビ番組に直接的に関わっていたときとは違うことになっているので、何か私たちが知らないところで国語の用語使い分けが違っていたのか、それとも、メディアの用語辞典が変わっていたのかとも思ったのですが、それはなかったようです。
痛めるは感覚的に痛いという状態が起こっているわけですが、傷めるは痛みのあるなしは関係がありません。痛みを感じなくても関節や筋肉の動きが悪い、動きが悪いために歩きにくい、階段の上り下りがきついというのは傷めるというのがふさわしい表現です。なぜ痛めたところが傷む状態になるのかというと、筋肉に傷がつくような状態になると、それが回復するときに筋肉が神経を巻き込みながら徐々に元に戻っていきます。そのために前の正常な状態ではなくなり、通常の動きをしたときに動きが悪くなったり、痛みを感じるようになります。
実際には痛みを感じているといっても、痛むと傷むは違っています。外的な痛みが生じる原因がなくなったら、少しは痛みが残ったとしても徐々に痛みが解消していくのが痛みです。それに対して、外的な要因がなくなっても痛みが続くのが傷みです。外的な要因はなくなっても、見えない身体の奥に損傷が起こっていれば痛みが続くことになります。損傷という言葉そのままに、傷がついているために痛みが起こるので、これは傷みでなければならないわけです。
ということで、本来は傷みと表現しなければならないのに、痛みと表現されているのは間違いとの結論を出していますが、テレビ番組の多くのテロップは“痛める”“痛む”“痛み”になっています。間違いであっても多くの人が使うようになると、それが正しい使い方になるのは過去にもあったことで、最近では「断然うれしい」というのが「全然うれしい」と使われています。ただ、今でも「すごい」とのコメントに「すごく」とのテロップが被されていて、これと同じように痛みと傷みの使い分けが行われる日が来るのかと楽しみにして待っているところではあります。