日々修行28 手書き原稿の限界からの修行

仕事として原稿を書き始めたクラシック音楽専門誌から厨房機器業界の機関誌、書籍のゴーストライターの初期の段階までは手書き原稿でした。原稿用紙のマス目をペン書きで埋めていく作業で、あまりに書きすぎたために腱鞘炎を起こしました。

それでも書き続けるために、右手首に湿布を貼り、包帯を巻いての執筆のために、湿布を貼っていたところに毛が生えなくなり、30年が経った今でも、そこだけ脱毛したような状態になっています。

大手出版社のゴーストライターは、もう続けられないと思って、腱鞘炎の話をして、実際に文字が綺麗に書けないところを見せて帰ってきました。編集者は納得してくれたものと思っていたら、数日後にワープロ(ワードプロセッサ)が家に届きました。

それは業務用で当時は70万円もしました。ゴーストライターをしていた出版社の親会社の製品ではなかったのですが、手書きよりも時間がかかったのは、キーボードを打つのが初めてというだけでなく、傷めた右手を庇いながらだったので通常のタイピングができなかったからです。

これを使ってゴーストライターを続けろということであったのですが、慣れてくると手書きよりも早くなり、腱鞘炎になる前から綺麗に文字が書けるほうではなかったので、書籍の執筆以外にも有効に利用させてもらいました。

ワープロは新たな機能のものが低価格で登場するようになり、1995年に最後の150冊目の原稿を仕上げたときには、ワープロからパソコンの文章作成ソフトの時代になっていました。

1995年はWindows95が発売され、それまでは専門分野しか扱えなかった作業が個人でもできるようになっていました。その当時のことを雑誌などに書く機会をもらい、Windows95についても随分と書いたのですが、私が使っていたのはMacintosh(Mac)でした。

以前から出版、印刷、研究の分野では大きな容量のMacintoshが使われていて、その世界にいたので、Windowsは馴染みがなかったのです。

1996年には親戚の者がインターネット総合研究所を立ち上げ、当時の東証マザーズ上場第1号となりましたが、近いうちにWindows が主流になり、MacintoshでもWindowsが使えるソフトができると言われていました。

それまでは並行して使うしかないということでしたが、随分と長くかかったものです。今はMacでWindows互換ソフトを使っています。
考えたことを文字にするという作業は、パソコンが新たになるたびに新たなことを覚えなければならず、そのたびに修行のような日々を過ごすということを今でも続けています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕