日々修行42 3つの制服組との関わり

1995年は、私にとって大きな転換点となる年だったということは、これまで何回か書いてきましたが、もう一つ記憶と記録に残るのはオウム真理教事件でした。東京の地下鉄サリン事件では、一緒に仕事をしていた広告代理店の営業マンが同じ地下鉄に乗っていました。

無事に帰還したときに連絡があり、その体験談が聞けるものと思っていたら、いつ死ぬかわからないので好きな仕事をしたいということで健康関連の執筆の依頼がありました。

地下鉄サリン事件は、警察庁による正式名称は「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」といいます。この話を聞いたのは、その年に教祖が逮捕されましたが、そのときの指揮をとっていた当時の警視総監からでした。

事件の前年に警察庁次官から警視総監になっていますが、前職は1年間の在職だったので、事件の解決のために移動になったのは周囲も認めていました。在籍したのは2年ほどでしたが、元総監となってから会ったのは制服組の公務員の婚活を進める団体のトップになるというタイミングでした。

この婚活組織は私が企画立案しました。制服組というのは警察官のほかに自衛官、消防官も含めています。

自衛官では、海上自衛隊出身の方と知り合いました。1995年には私は東京・原宿に住んでいて、近くに東郷神社がありました。御祭神の東郷平八郎は元海軍大将で、境内には旧海軍、海上自衛隊のOBの交流会である水交会がありました。

ここで当時の海上幕僚長と東郷神社の祭典で知り合いましたが、その後に統合幕僚会議議長となり、退官後は水交会の理事長、会長を務めています。

制服組の婚活ということで、すぐに思い浮かべて連絡をとりました。

全国の消防局の議長は東京消防総監ということで、退官後に市民防災研究所の理事長となっていた元総監に消防官の取りまとめをお願いしました。

婚活の団体としては一般財団法人としたのですが、自衛隊、警察、消防の所管の順序(自衛隊は国、警察は都道府県、消防は地方自治体)もあり、年齢、過去の実績などもあって、誰をトップにするかで揉めました。

揉めたといっても、当人同士ではなくて周囲の方々の声によるものですが、法律上では理事長は1人に限られていないことがわかり、3人が理事長ということで決着をつけました。このときの経験は、その後の組織づくりでも役に立ち、また制服組のOBの人脈は東京にいたときだけでなく、岡山に移住してからも恩恵に預かりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕