日々修行50 書籍の執筆は修行だったのか

通常の単行本は原稿用紙(400字詰め)で300枚というのが基本的な分量です。これだけ書けば220ページ前後の書籍にすることができます。団体機関誌では1号あたり、A4用紙で100枚というのが一応の目安で、1枚あたり原稿用紙で3枚に相当するので、初めて単行本の執筆をゴーストライターとして引き受けることになったときも、それほど驚くような分量と感じることはありませんでした。

ただ、違っているのは月刊の機関誌であれば30日で書き上げればよいのに対して、単行本は発行時期が決まっているので、わずか1週間で仕上げなければならないこともありました。それでも1日あたり原稿用紙で10枚、A4用紙で3枚と少しなので、思ったほどの分量ではありません。

これも1か月に1冊のペースならではのことで、1981年から1955年までに書いた150冊では、1か月に3冊の仕事が重なるということがありました。そのときばかりは、寝る暇もない、だんだんと何を書いているのかわからなくなる、書き上げた後に編集者から問い合わせがあったときに書いた内容を覚えていないという悲惨な経験しました。

それでも続けることができたのは、いつも新たな世界と巡り合い、それに合わせた書き方をするという、前と同じことをしないでよいという独特の世界であったからです。このおかげで書くテクニックだけは身につけることができましたが、自分自身の人間性を磨くことができたのかというと、それには疑問もあります。

1995年は1社の出版社で手がけた最後の1冊が発行された年で、その後の34冊のゴーストラーターとしての仕事が始まった初めの年でもありました。また、健康科学情報センターという大仰な名称の任意団体を設立して、複数の団体の機関誌を並行して手がけた年でもありました。

こんなことができたのも、Windows95の登場によって情報収集・発信が以前に比べて非常に簡単になった年でもあって、打ち合わせや原稿の提出、編集などがパソコンによってできるようになって、執筆に時間をかけられる状態になったことが大きかったです。

といっても、私が使っていたのは、ずっとMacintoshだったので、私が変わったというよりも世の中が変わったということでした。

そのときには、「無理なく無駄なく」のモットーの通りに仕事ができるようになったと喜びもしたのですが、今にして思うと、仕事が途切れなくなり、まさに修行のような執筆が始まった機会でもありました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕