「門前の小僧習わぬ経を読む」という言葉があります。これは寺の門前で遊んでいる近所の子どもは、いつも見聞きしていると習わない経が読めるようになるという意味で使われていて、繰り返し見聞きする環境にいると自然と知識がつくようになるということを指しています。
私の場合は、小学校に上がる前の3年間、母親の実家の寺院で親元から離れて暮らしていて、毎日朝晩、葬儀などがあるときには昼間もお経を聞いていたものの、まだ未就学だったので、見聞きではなくて聞くだけでした。
お経は聞いて覚えられるようなものではなくて、見てはいたものの漢字で書かれているので、これで覚えるのは無理なことでした。このようなことを書いたのは、“習わぬ経”ならぬ習わぬ学問を後に覚えることになったことがあり、その期間は1年間でした。
大学生時代のアルバイト先の厨房機器の業界団体の月刊機関誌の編集から厨房に関わる調理、その中でも病院調理(一般には病院給食)の調理師で構成される全国病院調理師協会(後の日本病院調理師協会)と巡り合いました。
病院調理師の団体は国立病院、大学病院の栄養管理室や栄養部に所属していて、その顧問役だったのが国立病院医療センター(後の国立国際医療研究センター)の栄養管理室長であった山本辰芳先生(管理栄養士)でした。
山本先生は当時の国立病院・療養所栄養士協議会の会長で、日本栄養士会の理事長も務めていました。また、臨床医と病院栄養士・管理栄養士で構成される日本臨床栄養協会の副会長でもありました。
日本臨床栄養協会の設立の立役者で、同協会の会長は医師、副会長は管理栄養士という決め事があって、臨床栄養の世界の管理栄養士としてはトップの存在でした。
山本先生が退職をして、病院栄養管理の研究所を設立するときに、事務局も担当する研究員として呼ばれました。専属ではなく、時間があるときに研究所に行く(といっても週に2〜3回は用事があると呼ばれていた)ということで、臨床栄養の世界を学ぶことができるだろうという感覚でのスタートでした。
厨房業界で編集を手掛けてきたことは、厨房機器と給食という関わりはあったものの、それは臨床栄養の世界では一部だけのことで、最も役立ったのは編集経験でした。
日本臨床栄養協会は年に4回、機関誌の「New diet therapy」を発行していて、その編集の仕事が研究所に委託されることになり、取材も含めて、ずっと関わってきました。
また、山本先生は栄養業界では「組織の山本」との異名があるくらい栄養に関わる団体を立ち上げてきて、その役員に名を連ねていたことから、団体の立ち上げ、機関誌・紙の編集、資格認定講習などが、途切れることなく続きました。
初めの半年は、取材をしても記事を書いても、専門用語が理解できないことから、まるで経文を見ているような感じもあったものの、習わぬ経も続けているうちに理解ができるようになり、その内容を伝えていけるようにもなりました。
このときの経験が、後の団体設立、資格認定講習、関連する団体を結びつけて新たな活動を始めるバックボーンとなったことは間違いがありません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕