病院給食がおいしくないと言われる中、そのような評価がされなくなることへの挑戦は、“不可能への挑戦”とも言われてきました。その挑戦への一つとして前回(日々修行55)は患者への個別対応の難しさという点で触れました。
おいしさというのは食事の中身だけでなく、食器が違うだけでも感じ方が違ってきます。以前にテレビ番組で、まったく同じ料理を盛る食器を変えるだけで、おいしさが違って感じるのかという検証をしたことがあります。
料理を作ったのはイタリアンのシェフで、一つは店舗で使っている食器に盛り、もう一つは給食用のガラス食器(これでもプラスチック食器よりも高級)に盛って、どちらかがシェフの料理で、どちらかがシェフが監修した冷凍食品かという嘘情報で食べ比べをしてもらいました。
その結果は明らかで、一般の消費者だけでなく料理人も美食家も店舗の食器のほうに軍配を上げました。お笑いの芸能人だけは裏を読んでガラス食器のほうを選びましたが、これはテレビ番組のお決まりの演出でした。
食器の違いだけでなく、毎日の食事で使われる給食の食器が、いつも同じ絵柄のものを使っていると、だんだんとおいしさを感じにくくなるということは給食の世界では普通にあることです。
病院給食の場合は、食べる環境が通常とは異なっていて、場合によっては、生活の場(ベッドの上)が治療も食事も排泄も一緒という辛いと感じさせるようなところです。
レストランのように素敵な音楽が流れているわけでもない、掃除が行き届いていない室内、他の患者の苦しそうな声が聞こえる、看護師が走り回っている、食堂で食べたいと願っても不可能という病院もあります。
国立の医療センターに感染症で入院したときに、疾病よりも病室にいることが苦しいと感じる経験をしました。臨床栄養の関係者が院長だったこともあり、すぐに入院させてもらったのですが、ベッドが空いていないというので、放射線科の病室に入りました。たまたま同じ階に私が入るべき科の病室があり、診察も治療も受けやすいということでした。
それは違っていなかったのですが、私以外は、がん対応の放射線治療の患者ばかりの大部屋で、食欲がない、食事をしたくても思ったように食べられないという方の中で、自分だけが通常の食欲で普通に食べていました。
食べなければ病気がよくならないという感覚でしたが、食べて体力をつけないと放射線治療が受けられない、放射線治療を受けると食欲が低下するという繰り返しを毎日、目にしていました。
「患者の気持ちは入院してみないとわからない」と言われることがありますが、実際に患者の立場で病院給食の問題点を見させてもらったことで、その後の臨床栄養への取り組みが変わってきました。
それについては次回(日々修行57)に書かせてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕