妻は京都生まれですが、両親ともに岐阜県の高山地方の出身で、京都には父親が京都大学で学び、教える立場であったときに暮らしたこともあって、“京都人”という雰囲気は容姿以外には感じられません。
京都の気質は、京都に居続けている人に脈々と受け継がれているもので、そこを離れて暮らしていると徐々に薄れていくと言われています。しかし、京都の気質を言い表す「伝統と進取の気風」は京都を離れても続くところがあり、特に京都出身者だけでなく京都で学んだ方々にも強く残っているようです。
京都大学は研究成果では日本第一の実績があり、さらに異能の才能を生み出すことでも知られていました。これは今も続く伝統のようなもので、私の義父は京都大学で薬学博士となり、薬を使わないで済む健康づくりの研究を生涯にわたって続けていました。
私と1歳違いの親戚は、京都大学で宇宙工学を学び、のちにインターネット総合研究所を設立して東証マザーズ上場第1号として注目されましたが、今でもネット社会の根幹に位置しています。
わずかな身近な例だけでなく、仕事で付き合ってきた京都出身者(京都府というよりも歴史的な京都の中心地出身)、京都大学出身者も「伝統と進取の気風」に溢れた方が数多くいました。
そんな京都の方々と付き合ってきて、独特の言い回しには今でも理解しにくいところがあり、根幹を見誤らないようにすることには気を使ってきました。そこが読めなかったために、京都の方々との交流がうまくいかなかった例も随分と見てきました。
普通であれば「考えておく」と言われたら、それは前向きの姿勢であり、少なくとも興味がないというような意味の言葉ではないはずです。
ところが、京都の方に「考えとくわ」と言われたら、これは「お断り!」を意味します。それも消極的というよりも「!」がつけられるような意思表示です。
これが理解できたところで、次に困惑させられるのが「考えてみてや」です。これを真に受けて、会議の後に反省をして、新たな提案をしても素通りされることにもなります。それは「考えてみてや」が「やめてくれ」の意味だとわかっていないからのことです。
強めに「考えてみてや!」と言われたら、「やめてくれ!」と!をつけて言われたのと同じなので、これは引き下がるしかありません。
では、よく会話に出てくる「よろしいなあ」は、少しは受け入れてくれる気持ちがあるのかと思いがちですが、京都の方々にしたら「あ、そう」といったくらいのニュアンスです。これも理解していないと、無駄に期待してしまうことにもなりかねません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕