目を閉じると何も見えなくなるのは普通のことで、「目を閉じて何も見えず」という谷村新司の「昴」の歌詞のような状態になるのは当たり前のことです。
ところが、「目を閉じてもモザイクが見える」ので、目を閉じて休んでいても血流が回復するまでは、ずっと見えたままです。
この状態となっている閃輝暗点については前回(日々修行112)、書かせてもらいました。
こればかりは他の人が、どのように見えているのかを想像することはできないことで、閃輝暗点が出たら対処しようがありません。講習の途中でも、モザイクのために講習テキストに書かれていることが充分に見えなくなっても、そのまま講習を続けています。
自分で作った講習テキストなので覚えているということもあるのですが、テキスト通りに話をしなくても、後で読み返してもらえれば理解できる“読めばわかるテキスト”にしてあるからです。
閃輝暗点は脳の後頭葉の血流低下が原因であることがわかっていても、そこから先のこと、つまり改善法はわかっていません。改善法がわかれば、治療もできるということになるわけですが、そのことを期待することはできません。
このことを体質と呼ぶことはできないのですが、まるで体質のように受け入れるしかありません。
血流の低下を改善する方法はあるものの、入浴をする、運動をする、マッサージをする、血液をサラサラにする薬や健康食品を使うという、どの方法を使っても得られるのは部分的な効果、一時期な効果だけです。
私の場合は、そもそも血流が少ないので、他の血流を低下させることが少しでも重なると、閃輝暗点が起こってしまいます。その理由は心臓弁膜症です。心臓弁膜症というと、なんだか恐ろしい印象があるかもしれませんが、心臓の弁の老化でも異常によるものでもありません。
心臓の拍動を調整している洞結節(身体に備わったペースメーカーのような器官)から発せられる電気信号の流れの一部にバイパスができています。そのために弁が閉じ切るタイミングの前に拍動が起こって、血液の一部が逆流しています。
これも原因がわかっても治す方法がないということで、受け入れるしかない、そのような血の巡りが悪い状態であることを意識して、無理をしないで過ごしていくだけです。
もうすぐ古希が迫っているので、やるべきことは全部やっておきたいのに、それができない心理的なプレッシャーとの戦いは、おそらく寿命が尽きる直前まで続きそうです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕