日々修行129 岡山の縁と所縁

「岡山には何の縁も所縁もないのに、なぜ?」と聞かれることは、東京から移住した8年前の4月から今に至るまで、ずっと続いていることです。

そう言われるのは自分でも納得していて、縁(えん)ということでは私も妻も岡山の出身ではなく、親戚もいません。私の出身は新潟県です。

所縁(ゆかり)ということでは、小学校にあがる前まで親元を離れて育った母親の実家の寺院がある出雲崎町が岡山とつながりがあるくらいです。
出雲崎町の著名人といえば江戸時代後期の曹洞宗の良寛和尚で、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺まで歩いて行ったと住職の祖父から聞きました。

それは安永8年(1779年)、22歳の時のことだったということですが、その当時は約700kmの距離を歩いて行くしかなくて、12年の修行の後にも歩いて諸国巡りをして越後に戻っています。

他に岡山つながりの方というと、東京にいた時にお世話になった(私が霞が関で仕事ができることになったきっかけの)厚生労働省の初代事務次官(2001年〜)の近藤純五郎さんが岡山の出身で、岡山で開催される医学系学会の大会などを紹介されて岡山に出向くことが何回かありました。

公益財団法人日本健康スポーツ連盟の理事を務めていた時に、評議員長だった赤木恭平さんは当時は公益財団法人全日本ボウリング協会の会長でしたが、出身は岡山県高梁市でした。

赤木さんは、現在は日本健康スポーツ連盟の副理事長、日本ワールドゲームズ協会の会長をされていますが、その関係から岡山に来る機会を何度か設けてもらいました。

岡山に移住してから東京でお会いしたときに、岡山県のためになることであれば手助けすると言ってもらい、その機会が、やっと巡ってきました。これについては別に書かせてもらいます。

そういったこともあって、岡山には移住の準備を除いて15回、訪れています。私は東京に住んでいた44年間で、全道府県を訪れていますが、その中で最も多いのが岡山です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕