言い間違いは誰にもあることで、言葉の本来の意味を知っていても話をするとき、文字にするときに誤って書いてしまうこともあります。それは年齢のせいだと言い訳をすることもあれば、他人の過ちを指摘するツールとして使われることもあるのですが、決して揚げ足取りで指摘しているわけではありません。
自分にとっては、言い間違いを通じて、人を見分けるためのよい判断基準となることもあります。同じところに所属する人が言い間違いをしていると、これは共通用語として使っているのではないかと思いたくなります。
私には「微表情分析」という、あまり周囲には喜ばれない(というか嫌われることもある)特技があり、隠そうとしても表に現れる微小な変化を見抜く手法を活用しています。これは騙されないために仕方なく始めたところがあります。
これだけでは見抜きにくいこともあります。微表情分析が非言語コミュニケーションだとすると、言語コミュニケーションと組み合わせることによって「腹の底で何を考えているのか」がわかる、というか気づくためのヒントを得ることができます。
その手法については、微妙な特徴や変化を見るためのトレーニング法があり、充分に鍛えられた状態でないと、とんだ過ちを犯すことにもなるので、文章では伝えにくい(伝えられない)ところです。
非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションの組み合わせは難しくても、言語コミュニケーションである言葉の言い間違いに気づいて、そこから相手の気持ちを見極めることはできます。
その見極めができないと「足を掬われる」ことになります。これは正しい言葉なのですが、言い間違いの「足元を掬われる」を使っている人が増えています。そのようなことにならないことを願って、次回(言い間違い2)は「足元を掬われる」について考察していくことにします。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕