日本の現在の栄養学のエネルギー量の単位として一般に知られているのは80kcalです。これは栄養に関する書籍などだけでなく、大学教育などの教科書でも採用されていることから、日本の栄養学の歴史は80kcalであると思われているところがあります。
しかし、実際には日本の栄養学は100kcalから始まっています。その歴史が知られていないために、100kcal単位を採用すると新たな手法と勘違いされることがあります。
身体に必要な栄養成分を熱量で考えることを初めに提唱したのは東京陸軍病院の軍医であり、医学博士であった森林太郎でした。森林太郎は作家の森鴎外の本名です。
森林太郎は明治17年(1884年)から21年までにドイツに留学しましたが、そこで軍隊の食事について学び、帰国後に陸軍軍医学校・大学校教官となりました。
そして、「人間の栄養学では食事は熱量を第一とする」と、日本の軍隊の食事について熱量(エネルギー量)によって考えるように提案しています。
森林太郎は明治22年(1889年)に、携帯食糧について論文で報告しています。携帯食糧は陸軍が行軍のときに摂る食事で、仕事の内容によって必要とする熱量が異なることから、食事を1包装ずつ同じ熱量として、各部隊に合った熱量の食事を与えました。
これはドイツで学んできたことで、その熱量として報告論文では「1包装=100kcal」が取り上げられていました。
熱量はたんぱく質、脂質、炭水化物のエネルギーの和(合計)と等しいことを紹介して、熱量から栄養成分を考える方法が100kcalを単位として始まったのです。これによって、摂取した個数によって誰もが簡単に摂取する熱量が把握できる「目で見る栄養学」が日本で初めて実践されました。
この発想を引き継いで、わかりやすく、実践しやすいエネルギー摂取法として普及しているのが、私たちが進めている「100kcal栄養学」です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕