“発達”は、成長して以前より強く大きくなる(たくましくなる)ことを指していて、普通に使われているなら、とてもよい言葉です。ところが、一部では“発達”は、たくましくなることではなくて、それを諦める場面で使われることがあります。
発達特性がある子どもの支援に関わっていると、それを感じさせられることがあります。
発達特性のある子どもの保護者が「うちの子は発達だから」と口にする例は多々あります。その中には諦めの気持ちも含まれていて、初めから諦めている人は、それほど強い落胆(がっかり、期待はずれ)を感じていないようです(感じていないように見せているだけのことかもしれないのですが)。
これに対して、なんとかして発達特性を改善したいと頑張っている保護者は、それが通じないときに強い挫折感を感じて、その後は「うちの子は発達だから」と、なんだか放棄しているように感じさせられることもあります。
積極的な支援をしなくなった(できなくなった)ことを、発達障害を免罪符にしている例も少なからずあります。
これは一例ですが、発達障害児の改善で定評があるクリニックの待合室でのこと、前に座っている子どもや保護者を叩く子どもがいて、それを叩かれた保護者が注意をしたシーンです。
発達特性によっては、座って待つことが苦痛で、その苦痛を保護者にわかってもらいたくて行動に移している子どもがいることは理解しています。軽く指摘をするくらいだったのですが、指摘された保護者が発したのが「発達だから仕方がないでしょ」という言葉でした。
通常であれば、その保護者(指摘された人)が気にかかるところでしょうが、そのようなことを口にする何かがあったのかもしれません。
それよりも気にかかったのは、そのような出来事を“子どもはわかっている”ということでした。
発達特性がある子どもは「困った子ではなくて困っている子」ということは私たちもよく話すことであり、これを聞いた方々もわかっているはずです。
しかし、わかっていても行動に起こしてしまうのが発達特性であり、諦めないで支援し続けてほしいということも、よく話をさせてもらっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕