業苦楽6 儲かることがない宗派での学び

あまり好きではない(どちらかといったら嫌いな)言葉の一つの「坊主丸儲け」は仏教の寺院は儲かっているというイメージを植え付けるのに使われていいます。

確かに、宗教法人は収益に対しての納税義務がなく、お布施などにも定価があるわけではないので、そのような丸儲けと思われることもあるでしょう。

しかし、それは他の宗派ではあったとしても、浄土真宗には“本来は”当てはまらないことです。わざわざ“本来は”と書いたのは、そうでもない寺院・僧侶がいることは事実であるからです。

ここで浄土真宗の違いを、実際に経験することがあるであろうことから見ていくと、浄土真宗には地獄が存在していないので、四十九日の法要で地獄に堕とされないように必死に願うということはありません。

ただ、四十九日は葬式とセットだと感じている方もいるので、その日に法要は行うものの、あくまで故人を偲ぶ集まりです。

亡くなった人の魂は、この世に残っているわけではないので、お墓は祖先を偲ぶ場です。そのため、墓で祈りを捧げるとお盆に魂が現世に戻ってくることもありません。お盆は他宗では迎え火と送り火が行われますが、浄土真宗では送り火も迎え火もありません。

また、戒名が書かれる位牌も作りません。浄土真宗では戒名とは言わずに、法名(ほうめい)がつけられます。他宗の豪勢な戒名とは違って、お釈迦様の弟子を示す釈○○という法名だけです。

浄土真宗には、寺社につきもののお札もお守りもおみくじも、また御朱印帳もありません(これも本来は、ですが)。

葬式の際には「末期の水」がつきものですが、これは亡くなった人が安らかにあの世に旅立ってもらうための儀式で、浄土真宗では末期の水は行われません。

葬式のときの香典の表書きは「御霊前」と書かれるのが一般的なところですが、浄土真宗では亡くなった人は、すぐに成仏して霊はいないので、「御仏前」と書かれます。他の宗派では四十九日の前には「御霊前」で、四十九日が過ぎたら「御仏前」となりますが、そのような使い分けはありません。

喪中や忌中は一般には亡くなった人への弔いの期間で、めでたい行事は慎んで静かに過ごすのが通常のことですが、浄土真宗では喪中も忌中もありません。

一周忌の前の年賀状は控えることが当たり前とされる中、年賀状を送っても構わないのが浄土真宗なのですが、それだけは避けるというのが世間とのお付き合いのためには必要なことのようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕