業苦楽8 岡山移住の自業苦

自業苦(じごく)を経験した先に業苦楽(ごくらく)があるという浄土真宗の宗祖の親鸞聖人の教えを今さら書き記しているのは、自ら岡山で経験をしたことがあるからです。

自業苦の自業は自業自得の前半部分で、自分が東京でやってきた臨床栄養、運動科学、情報学などの世界を活かそうとしてのことで、一般にイメージされるような「悪い行いが悪い結果になる」ということとは違っています。

誰もが経験してきたことを良い行いとすることができる(たとえ悪いことであっても良い結果とすることができる)ということで、岡山に合った形にアレンジして役立てたいとの思いがあって、縁も所縁(ゆかり)もない地への移住を決断しました。

それは2016年のことで、実際に移住したのは2017年の4月なので、今から8年も前のことになります。その役立てられる活動は介護事業の予定でした。

私は叔父が有名な社会福祉学者(日本社会事業大学の学長も務めた)であったことと、当時の大学が私の住まいから歩いて3分の距離にあったこともあって、いろいろと学ばせてもらいました。

叔父の仕事の手伝いとして書籍の作成、自治体の企画立案、社会福祉法人の改革プランにも関わらせてもらい、各分野の人脈も自然と増えていきました。その一人が厚生労働省の福祉部門のお役人で、岡山だけでなく全国的にも有名な社会福祉法人の役員となっていたので、その人脈もあるので、なんとかなるとの思いもありました。

ところが、介護事業が途中から介護予防事業になり、最後は運動設備がある娯楽施設に変わって、私の仕事がすべき仕事ではなくなりました。

一緒に介護事業をするために妻(鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師)、妻の妹(プロの演奏家で音楽療法士)、姉妹の両親も移住していましたが、施設がオープンしたら全員が雇われるとの約束も守られることはありませんでした。

そのときには移住から2年半が経過していて、その後の半年は数少ない岡山での人脈をたどって、なんとか翌年からの新たな福祉関連事業を構築することができました。その準備をすべて整えて、あとはスタートを待つという直前になって新型コロナウイルス感染症の蔓延が始まりました。

福祉事業は人との接触があって初めて成り立つ活動だけに、コロナ禍は何もできない時期となり、東京で実施していた講習活動を細々とやって生き延びるしかない期間が3年も続きました。

自分が行ってきた活動が招いた自業苦を経験して、その先の業苦楽の入口にたどり着く機会は、自業苦の中で知り合った新たな人脈でした。自分がやってきた自業で役立ててもらえるところは全部提供して、一緒に新たな形を作っていく、その作ったものを次世代に続けていくという切り替えの気持ちになって得られたことでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕