酒好きの人は「辛党」と呼ばれます。これは辛口の酒を好む人ではなくて、酒の味は辛口でも甘口でも関係なしに「辛党」と表現されています。
さらに間違えている人もいて、香辛料が使われた辛い料理を好む人、塩辛い料理を好む人だと思われることもあります。
辛党は「甘いものよりも、酒を好む人」という意味です。私の場合は、甘いものも酒も好むので、“甘辛党”ということになるのかもしれません。
甘党のほうは機会を改めて書かせてもらうことにして、辛党の岡山移住について、いろいろと思い出して記していきます。
東京にいたときには、岡山の酒といえば日本酒で、その多くはデパート(日本橋三越、日本橋高島屋、東急東横店など)の酒売り場、アンテナショップ(とっとり・おかやま新橋館)で、比較的高級な銘柄を選んでいました。
移住する前に、まずは日本酒で地元(になる岡山)の味に馴染んでおこうということで、岡山の特徴的な酒米(酒造好適米)で、“幻の酒米”と呼ばれる雄町米で仕込んだ日本酒から順番に飲んでいきました。
移住先は岡山市東区の瀬戸町ということで、雄町米の発祥の地の雄町地域(駅では高島駅と東岡山駅の間)の酒造会社を探したのですが、見つけることはできませんでした。よく考えてみれば酒造会社があるところと、酒米の産地が異なるということは普通にあることなのですが。
雄町地域に田んぼはあるものの、雄町米を作れるほどではなくて、土地の詳しい方に聞いたところ、住宅地化が進む中で、雄町米の産地は徐々に東へと移っていったとのことでした。そして、現在の産地は瀬戸町と赤磐市ということを知って、納得がいきました。
雄町米の日本酒の中には産地を強調した「赤磐雄町」と「瀬戸雄町」という銘柄があって、その名を抱いた産地に移住することになりました。
移住してみて、瀬戸町は以前が赤磐郡の一つの町(最も南側)で、瀬戸町は岡山市に合併されましたが、地域的には赤磐ということで、「赤磐雄町」は瀬戸町の酒米でも作られていました。「赤磐雄町」の銘柄の酒造会社は赤磐市にあります。
「瀬戸雄町」のほうは、瀬戸町の酒造会社名と思っていたら、こちらも赤磐市にあったのですが、「瀬戸雄町」の産地(栽培圃場地)は、名前どおりの瀬戸地域でした。
今、暮らしているのは瀬戸町でも2か所目で、どちらも近くに雄町米の田んぼがあって、そこで栽培された雄町米は、全国で美味しい日本酒となっています。
故郷に戻ってきて、私たちが飲むのも面白いという感覚で、今は“一人雄町サミット”(妻と飲むときには二人雄町サミット)を楽しんでいます。
瀬戸町には大手ビール会社の中でも全国で2番目の製造量を誇る工場があり、見学会と称したタダ飲みができる場所があります。赤磐市には有名なワイナリーが2工場あり、以前の飲み仲間や酒のペンクラブのメンバーなどには「酒に魅かれて移住した」と言われますが、強ち(あながち)外れてはいないようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕