経験の長さや歴史は、その人を判断する大事な要素で、歴史が長いと、それだけでも尊敬の対象になることもあります。京都の老舗は創業から100年は対象にしてよいのか迷うことがあり、200年を超えていれば安心して名乗れる感じがあります。
そのような“悠久の流れ”の京都では、それ以外の地域とは時の流れが違っていると感じさせられることがあります。職人の腕も、技術的に優れていればよいというわけにはいかなくて、修業に何年、独立してから何年という年月の長さが重視されるところがあります。
伝統的な仕事でなくても、10年も続けていればベテランと呼ばれる世界もあれば、“悠久の流れ”の前では10年は修業の身、場合によっては“駆け出し”とも見られかねません。
それなら20年も務めていれば大丈夫だろうと、京都人に「20年選手」であることを伝えてから仕事の内容について話した人が言われたのが「何年目なん?」でした。
仕事の経歴を話したあとだったので、聞き逃したのかと思いもしたとのことですが、仕事を始めたばかりの年にあったことに反応があったので、“何年選手か”でわかっていたはずだとも言います。
こういったことを言われるのは、20年もかけて“修業”したのに、「その程度の腕か」と思われたからです。そのことを伝えてあげてから、その人は京都に行ったとき、京都出身の方と話すときには、仕事の年数に話が進んだときには、「20年になりますが、まだまだ修業中です」と話をするようになったとのことです。
会社組織では部長にもなっているので、この反応に対して「随分と謙虚な人だな」と感じてもらえることもあれば、「修業中なのに態度が大きい」と感じられることもあって、それこそ「年数にふさわしいだけの成果をあげているのか!?」と自分に問いかけるようになったといいます。
そういった謙虚な心になる機会を与えてくれるのも、京都のよさなのかもしれません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕