日々修行203 「貧乏人は○○を食え」

日本人の健康的な食生活を支えているのは、米飯を中心とした食事のおかげであり、炊いたご飯があれば何でも食べることができる、ということを健康に関するセミナーなどで話をさせてもらっています。

ご飯の重要性の話は、以前であれば比較的、楽な気持ちですることができていたのですが、ご飯の話をするときには聞いている方の反応を探りながらになっています。

日本人の食品の基幹となる米が豊作の翌年であるにも関わらず大きく不足して、価格が高騰している中で、ご飯を食べることが推奨しにくくなっているからです。

しかも話をさせてもらっている相手が、生活が裕福とは言えない方が多く、米を買うことも躊躇する、うどんのように安いものを主食にするしかないという状況を知っていると、伝えたくても伝えられなくて、充分な話ができなかったという思いを引きずっています。

まさか短期間のうちに米価が2倍にも跳ね上がるとは想像もしていなかったことですが、米が高い食べ物であったのは、今に限ったことではありません。

過去には「貧乏人は麦を食え」と言われた時代があり、1950年に当時の大蔵大臣であった池田勇人が言ったと伝えられています。実際は、このような発言はしていません。

緊縮財政の不況の中、米価が高騰している状況について、参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方は米を食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁しました。

これを取り上げた新聞記事に、「貧乏人は麦を食え」との題名がつけられて、まるで大蔵大臣の発言のように広まっていきました。

その時代には私は、まだ生まれてはいなかったのですが、昭和30年代半ばに小学1年生から3年生まで暮らした山奥の村では“米を腹一杯食べる”のは希望をしてもかなえられない家が多くありました。そのほとんどは農家でした。

まさに「麦を食え」が当たり前の地域で、昭和38年の“三八豪雪”では小学生が電線の下を潜って学校に通うのが当たり前の景色でした。三八豪雪はあまりに有名で、ネット検索で、すぐに出てきます。

この豪雪が春になると溶けて豊富な水となり、よい米が育つ重要な要素の一つとなっていました。雪が溶けると水になるのではなくて、「雪が溶けると春になる」を、肌で感じるような村でした。

昭和初期までは、全国的に農家は米を作っていても売るものであって食べるものではないという状況でした。

麦、稗(ひえ)、粟(あわ)などに野菜を混ぜて食べていたということ、口に入れることができる米は屑米(くずまい)だけということを歴史の教科書で知った知人がいる中、私の同級生の家の中には、そのような生活が昭和30年代半ばまで続いていました。

「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのは昭和31年(1956年)のことですが、今のように麦、稗、粟は健康によい雑穀と認識されて、スーパーフードともてはやされる時代が来ることは想像もできないことでした。

高度経済成長が続き、もう貧乏人も金持ちも主食に関しては大きな違いがなくなった2020年に経済界の大家が「貧乏人は米を食え」というコラムを書いています。

輸入の麦が高値になり、それと比較して米が安いということでしたが、それが円安で輸入される麦は高いもの、米は高いものとなり、野菜も高級食材になってしまいました。

米国(アメリカのことではなくて米を多く生産する国内の地方)でも、「貧乏人は米を食え」とは言えないほど高くなっています。このような愚痴のようなことを書くことなく、安心して米飯の健康効果について語ることができる時期がくることを願うしかないようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕