日々修行210 よいことだけを話したい

良いことをすると良いことが返ってくることは、「因果応報」とも「自業自得」とも言われます。

「因果応報」も「自業自得」も、悪いことをした結果として悪いことが起こるという意味合いで使われることが多いのですが、本来は良いことによる良い結果も、悪いことによる悪い結果も「因果応報」であり、「自業自得」です。

そのような誤解を招かないように使われるのが「善因善果」です。これは仏教の因果応報の思想による言葉で、善い行いから善い果報が得られることを指しています。

善い行い(善行)というのは一般には道徳的に良い行いであって、仏の良い導き、良い利益を与えて、現在や未来に幸福をもたらす行いを示しています。“利益”は「りえき」ではなく、「りやく」と読みます。

神仏の世界で使われる「ご利益」(ごりやく)のことですが、利益(りえき)と読むと、これは儲けや得になることの意味となり、自分のためのこと一辺倒になってしまいます。

これに対して利益(りやく)と読むと、幸せや恩恵の意味になって、自分のためだけでなく、周囲の方々の幸せのために、善い行いをするという意味も含まれます。

善い行いには、外から見て良いと感じられることをすれば、それでよいということだけでなくて、気持ちの問題も重要です。お布施や寄付のように感謝をされることであっても、「恵んでやる」とか「感謝の言葉を言われたい」、「感謝状をもらいたい」ということではないはずです。

行為と気持ちがマッチしていないということですが、これが言葉で伝えるとなると、口に出したことと思っていることが一致していないというのは起こりにくいことです。

絶対に起こらないということではなくて、考えや気持ちがまとまらないために話していることが支離滅裂になる人も実際にはいます。

周囲から見て、言っていることと行動が一致しない統合失調的なことを目にすることもあるのですが、それでも言っていることが実際の気持ちと離れていても、言い続けているうちに気持ちのほうがついてきて、事実になるということもあります。

それもあるだけに、良いことを言いたい、少なくとも悪いことは言いたくないという気持ちが強まっています。過去には、私も悪いことも言ってきたのは事実です。悪いことを言う、悪い言葉を使うのは、その場では共感が得られたり、目先の結果としては良いことになることもありました。

しかし、古希が目の前に迫ってきて、これから先のことが徐々に限られてくる中で、「よいことだけを話したい」、その結果として良いことが起こる、つまり“利益(りやく)”が得られるようになりたいと真剣に考えています。

これまで悪いことを言ってきたこと、悪いことを言う人の味方をしていると思われるようなことをしてきた罪滅ぼしではなくて、自分の五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を正しく使いたい、そのためには良いことだけを話すようにして、良い結果を残したいと気持ちが高まってきています。

具体的に何をしたいのか、自分の五感の使い道については次回(日々修行211)から書かせてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕