「禁句」という言葉があります。相手の感情を害さないために使ってはならない語句のことで、「それを言っちゃあ、おしまいよ」という映画『男はつらいよ』の寅さんのセリフと同じような感覚です。
親しく話をすることができる間柄であっても、これだけは言ってはいけない言葉があるのは、どの世界でも似たようなもので、国のトップ同士の会談(テレビインタビュー)の場で友好ムードを壊して口論のようになってしまったのは、たった一言の禁句でした。
その結果が、立場が悪くなったとか、交渉がスムーズに進まなかったということで済まずに、国民の命に関わることであっても、禁句が口から出てしまう人はいます。
禁句には、“お約束”として嫌って使わない言葉もあって、和歌や俳諧の世界では趣(おもむき)を壊してしまうので、それを使うような人は退席させられてしまいます。
それこそ「よいことだけを聞きたい」と願っている人の前には禁句を口に出す人は来てほしくもない存在となります。
「よい音色を聴きたい」「よい音楽を聴きたい」ということであれば、歴史的・文化的なことや過去の評価が高いものを選択すればよいので、それほど難しいことではないのかもしれません。
ところが、「よいことを聞きたい」「よいことだけを聞きたい」ということになると、どんなに魅力的な声、流暢な話し方、文脈として正しい言葉が使われていたとしても、納得できないことは普通にあることです。
よい方向に進めたいと願って、時間をやりくりして集い、真剣に議論してきたのに、たった一言の口にしてはいけない言葉を吐いたことで、いわゆる“卓袱台返し”をしてしまったことは、自分では経験したことはないものの、何度も目にしてきました。
卓袱台返しは卓袱台(ちゃぶだい)を引っくり返す行動で、古い人ならアニメ『巨人の星』の主人公の家庭の食卓のシーンと言えばわかるかと思いますが、4本の脚の折りたたみ式の円形の座卓に乗せられている料理を完全にダメにする行動です。
“覆水盆に返らず”と同様の取り返しがつかないことを指していますが、ただ食べ物を無駄にしたことではなくて、それを作ってくれた人の努力も、一緒に食べる人の関係性も、家族の絆も無にすることです。
禁句を口にしてよいのは、破談になってよいとの決断があるときだけ、と言われることがあります。決断をもって禁句を口に出すことは“捨て台詞”と言われますが、それなら、どんなに厳しい言葉であっても受け入れることは可能かもしれません。
しかし、「よいことだけを聞きたい」と願って工夫や努力をしてきたときに限って、禁句が繰り出されることがあります。そのことを禁句を口に出した本人が気づいていないことがあります。
そのようなことにならないようにするためには、付き合うべき人を見抜くことから始めることが重要だということで、今も学ばせてもらっています。
本当であれば、学ぶ必要もないことなのでしょうが。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕