日々修行233 よいものだけに触れたい

情報過多の時代は、その中から重要な情報、必要な情報を選択するのに手間がかかるようになり、選択しようと構えているところに情報の大波が押し寄せて、その害に押し流されてしまわないようにすることも大変なことです。

押し流されないための一番の方法は、大波の被害に遭遇しないところに身を置くことで、大波が迫っていることがわかったら、その場から離れること、逃げ出すことです。

それはわかっていても、情報社会の中でしか暮らせない現状では、情報から離れることは普通に生きていくこともできなくなってしまいます。

携帯電話の電波が通じないところに住む、“ポツンと一軒家”のような隠遁生活といったことを選択する決断がないと、完全に避けることは不可能と言えます。

となれば、怒涛の如く押し寄せる中から正しい選択をするために、必要と思われるものにだけ向き合う、不要な情報には背を向ける、場合によっては完全に離れるといったことも必要になってきます。

「テレビは嘘情報ばかりだから見ない」「ネット情報は何が本当かわからないからインターネットはやらない」という断捨離というかミニマリズムを実践している人を知っています。それで正しい判断ができるのなら、そのような選択もありかもしれません。

しかし、避けてばかりいたら、何かの拍子に飛び込んできた情報の真偽、重要性の判断ができなくなって、間違った方向に押し流されてしまうことにもなりかねません。

このことは東京にいたときに、テレビの情報番組で“誰かの意図”を流す側にいたことがあり、インターネットの草創期から情報選択をすることも担当していたので、害があることは充分すぎるほど承知しています。また、その危険性も知っているつもりです。

その経験から伝えられることは、情報リテラシーを身につけておく工夫や努力だけは続けておいてほしいという呼びかけです。

これは自分への戒めの意味も含めてのことですが、大波のように押し寄せる情報の中から、正しい情報を選択して、それが自分にとって役立つ情報なのか、継続して使える情報であるのかを判断する能力を常に磨いておくことです。

リテラシー(literacy)は、特定の分野に関する知識や能力、その知識を活用する能力を指していて、その語源は「読み書きの能力」です。情報リテラシーを身につけるためには、よい(と思われる)ものだけを選んで触れるだけではなくて、さまざまな情報に触れるように範囲を広げておくことも大切になります。

今回のお題の「よいものだけに触れたい」を実践するためには、まずは“よいもの”を見抜く目が必要で、場合によっては目(視覚)だけではなくて、聴覚も嗅覚なども駆使していくことになります。

「よいものだけに触れたい」という表現とは逆のように思われるかもしれませんが、「よいものだけに触れていたら、よいものは見抜けない」ということを書いて、この話は次回(日々修行234)に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕