目指すのは無病息災か未病息災か

日本メディカルダイエット支援機構は、効果的なダイエットについても健康づくりについても「無理なく無駄なく」をモットーとして、誰もが取り組める方法を研究して提供しています。目指すところは、これによって病気にならないまま過ごせる幸せな生活で、これを「無病息災」として掲げています。しかし、これについては異論の声も寄せられています。私たちが情報提供している中にある“未病”のほうがよいのではないかという声もあり、「無理なく無駄なく未病息災」のほうが相応しいと言ってくれた方もいます。
このサイトには「無理なく無駄なく無病息災」としたのは3つの無を並べたかったからですが、未病のほうが実は活動内容に合っているのは以前から承知していました。無病というと病気にならないという意味で、息災は元気で過ごすことという意味の他に病気をしないという意味もあります。ということは病気にならないことを重ねて言っているのが「無病息災」です。
無病といっても、これだけの高齢社会になると病気をしないで最期を迎えるというのは難しいことと思えます。ただ、これは病気の意味の捉え方の問題で、以前から繰り返し伝えていることですが、WHO(世界保健機関)は自立できなくなった状態を病気としています。我が国も、これを基本的に採用しています。つまり、生活習慣病の高血圧症、糖尿病、脂質異常症(高中性脂肪血症、高LDLコレステロール血症、低HDLコレステロール血症)であっても、がんであっても自立して生活できているうちは病気ではないことになります。
生活習慣病によって合併症が起こったら、これは病気の範疇となりますが、腎臓病が悪化して人工透析を始めると、的確に続けていたとしても腎機能は確実に低下していきます。そして限界を越えると残念ながら亡くなることになりますが、人工透析とともに食事療法を的確に続けることによって限界の期間を長く引き延ばすことができます。これによって平均寿命以上に延ばすことができれば、これは腎臓病で亡くなったのではないということにすることができます。
これと同じような考え方をするなら、高齢になって、がんになっても、それでも一般的な生活ができて、自立したまま平均寿命を大きく上回ることになれば、これは病気でないと言ってもよいのではないか、という話を高齢でも頑張っている人、その高齢者を支えるために頑張っている人に話しています。こう言えるようにするためにも、無理なく無駄なく実践できる、プログラムを研究して提供しています。
プログラムとってもメニューのようなものを想像している人もいます。実際にプログラムの提供と言われて、見てみたら統一的なメニューで、その中から好きなものを選ぶだけ、ということもありました。それに対して私たちのプログラムは、個人に適したものを作り出すもので、もちろんパーツ的なメニューはありますが、それをいかに組み合わせて、それぞれの人が満足できる結果を生み出すかを重視しています。