東京は左通行、大阪は右通行の意味

いつも固いことばかり書いているという声が寄せられることもあり、たまには軽く読める話をということで、別の切り口で語りたいと思います。書くテーマが詳しく説明するほど固くなるものだと、どう頑張っても軽く読めるようにはならないからです。
日本メディカルダイエット支援機構は東京と岡山に活動拠点を置いて、頻繁に移動して、その途中で下車することもあり、“東京一極集中”のときには気づきにくかったことにも気づけるようになっています。そんな気づきの中からの小ネタですが、エスカレータの立ち位置の話です。
東京ではエスカレータは左側に立ち、急ぐ人には右側をあけておくという慣習があります。大阪との行き来が多かったときには、「東京は左、大阪は右」と単純に考えていましたが、大阪の一つ手前(新幹線で)の京都は観光都市、国際都市だけあって、右にも左にも立っています。前の人が右に立つと、その後に続いて立ち、左だと左に立つという感じになっています。渋滞緩和のために、東京でも左右ともに立って、追い抜かないようにという乗り方が推奨されるようになってきましたが、大阪を過ぎて神戸、姫路まで、おそらく兵庫県内では右に立って左をあけています。
ところが、その先の岡山は左に立って、右をあけています。さらに先まで新幹線でいうと広島、山口、博多まで、ずっと左立ちです。東西で違うというよりも大阪を中心に右立ち文化圏があり、そこから離れたところが左立ち文化圏ということです。もしも日本が丸い地形だったら、中心の京・大阪から離れると別の文化になっていくという考えもあります。
東京と大阪だけで比較していると、その間の名古屋はどちらかという議論も出てきますが、理屈はどうあれ実際には左立ちと東京と同じになっています。
江戸時代の東西対立文化圏というと、武家の街の江戸は左側通行で、追い抜く人は右側を通り、商人の街の大坂(江戸時代は大阪ではなく)では右側通行で、追い抜くときには左側を通るという大原則がありました。武士は左腰に刀を差しているので、右側通行をするとすれ違うときに刀の鞘が当たる、いわゆる鞘当てが起こって、喧嘩の元、揉め事の元になります。全国から江戸在勤のために武士が訪れるためにルールが必要で、左側通行が定められました。
一方の大坂はというと、利き腕の右手に金目の商売の元となるものを持ち、安全のために通りから離れた側に道具や帳面などを持つことから右側通行になったということです。この説は納得がいくところです。
京都は右立ちも左立ちもあると書きましたが、以前は東京と同じ左立ちでした。左右が混ざってきたのは海外からの旅行客が大きく増えたことと関係しています。来日客が最も多い中国は右立ちです。韓国もアメリカもヨーロッパも右立ちです。全員が右立ちの大阪なら旅行客も、それに合わせるようにしますが、左右のどちらもあると自分の国で馴染んでいる側に自然と立つようになるのは当然のことです。
世界標準は右立ちで、東京の左立ちのほうが珍しいのに、東京一極集中的な目で見ていると、大阪だけが違っているというような考え方、書き方になってしまうところですが、東京と地方を行き来していると、一極集中の目線ではなく、全国目線、世界目線で見ていかないといけないということに気づかされたところです。