庶民の昼食の習慣は江戸時代中期から始まった

病院栄養管理の研究所に所属していたときのこと、メンバーとして慶應義塾大学病院の食養科のトップの管理栄養士が参加していました。この先生は100kcal栄養学の元祖とも言える方で、途中から大学の図書館に特殊資料担当として移動しました。臨床栄養の出身ということで疾病と栄養の歴史を専門としていたことから、臨床栄養の学会でも非常に興味深い報告をされていました。
その先生から学んだことが、私が日本人の体質を研究するきっかけにもなり、日本人の健康を歴史的に調べていくことで、日本人の弱点も強みもよくわかるようになりました。その中で強く印象に残り、私が1日に3食を食べることの意味を語るときに参考にさせてもらっているのが、江戸時代の昼食についてです。今でこそ朝食、昼食、夕食の3食を食べるのは当たり前になっていますが、この習慣があったのは貴族や武士でした。貴族も武士も公務員として働いているときには職場で昼食が提供されていました。これは平安時代から始まったことで、日本の給食の始まりとされています。
学校給食の始まりが明治22年の山形県の無料の食事で、そのときにはおにぎりと漬物だけだったことが記録されています。当時の庶民の当たり前の昼食と同じで、この組み合わせの昼食が始まったのは江戸時代中期だとされています。江戸時代中期といえば八代将軍の徳川吉宗によって享保の改革が行われ、まさに暴れん坊的な勢いの新田開発によって米の生産量が拡大しました。庶民だけでなく農民も玄米食からおいしい白米が食べられるようになったのも、この時代です。
このことが江戸わずらいと呼ばれる脚気を引き起こすことになるのですが、その話は別の機会に譲るとして、庶民は朝に炊飯して、残したご飯をおにぎりにして仕事場に持っていくようになりました。そんな時代になる前は、朝食と夕食が基本で、昼間に空腹を感じたときには軽食として今の駄菓子に当たるものを辻売りで買って、つなぎとして食べていました。
この話に続いて、糖質をエネルギー代謝するときに必要な4種類のビタミンB群のうちビタミンB₁とビタミンB₂は体内で24時間保持されるものの、ビタミンB₆とビタミンB₁₂は12時間ほどしか保持されないので、朝食と夕食のおかずは大切だ、という話につなげています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)