駄菓子は上菓子ではない一般的な菓子の総称で、今でも地方には地域の名前をつけた○○菓子が江戸時代から受け継がれる伝統的な甘味として残されています。この他にも駄菓子と呼ばれるものがあり、これは江戸時代には一文菓子と呼ばれていました。一文菓子は、菓子というよりも雑穀や水飴などを材料にした庶民の間食でした。一文の価値ですが、江戸時代には金1両が銭4000文でした。江戸時代といっても260年も続いたので価値は変化していますが、平均すると現在の価値では20円くらいです。一文菓子と発音が似ている「一文無し」は本当に持ち金がない人ということになります。
今の駄菓子のルーツは一文菓子ということですが、安いので材料に金をかけられないということだけでなく、高価な砂糖は使うことが許されていなかったのです。材料の雑穀は今でこそ栄養価が高いということで白米に混ぜるものとして販売されていて、同じ重量なら白米よりも高価なものになっていますが、当時は麦、豆、粟(あわ)、稗(ひえ)などが使われていました。水飴は麦芽のデンプンを糖化させたもので、安く甘さを楽しむには最適なものでした。
江戸時代の中期に庶民は昼食を食べるようになって、朝に炊飯したものをおにぎりにして、これを昼食として食べていました。白米を食べるようになったから糠(ぬか)に含まれているビタミンB₁が不足したから脚気が起こった、というのが一般的な説となっています。しかし、白米を食べるようになったから、すぐに脚気が起こるようになったわけではなくて、昼食代わりに駄菓子を食べていた時代には、それほど脚気は多くはなかったのです。脚気が起こるようになったのは駄菓子を食べなくなったからで、雑穀を材料にしていた駄菓子は重要な栄養源だったのです。
雑穀にはビタミンB₁だけでなく、ビタミンB₂とビタミンB₆も含まれています。ビタミンB₁₂は動物性食品に含まれていて、卵や乳製品からも摂ることができます。雑穀が材料の駄菓子があれば、これに乳製品を加えれば、エネルギー代謝に使えるおやつとなります。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)