なぜ岡山から発信しているのか

日本メディカルダイエット支援機構は、活動拠点を東京から岡山に、理事長に移住に合わせて移しました。情報発信は、全国の情報を中央で集約して、その中から地域に応じた情報に作り直して全国に発信するというのが一般的でした。しかし、情報メディアが発展して、リモートでの作業が当たり前になった今、中央というのは位置としての東京でなくてもよくなり、どこからでの全国発信できるようになりました。日本メディカルダイエット支援機構が10年間にわたって毎週発信している「健康情報メール」も、すぐに岡山から発信できるようになりました。
情報が集められるのは東京だという意識は、いまだに東京に住んでいる(働いている)人に残っていて、だから東京で集めないといけない、ということも言われます。しかし、日本メディカルダイエット支援機構の情報収集は、初めから全国組織の上に立つ先生方との付き合いから始めています。日本臨床栄養学会の元理事長の板倉弘重先生、日本未病学会の元理事長の都島基夫先生、日本栄養士会の中村丁次会長、国立健康・栄養研究所の元理事長の田中平三先生といった専門家と付き合ってきたのは、全国から情報収集して全国に発信しているからで、いつか地方にいて収集と発信をすることを意識していたからです。
岡山に移動してからも全国発信を意識して人脈づくりをしました。全国社会福祉協議会の全国地域包括・在宅介護支援センター協議会の青木佳之会長は岡山市内で医療機関、介護福祉施設を運営する医療法人の理事長で、紹介の紹介で巡り会いました。岡山県には西日本最大の社会福祉法人(国内3位の規模)の社会福祉法人旭川荘があり、副理事長は厚生労働省の元障害福祉課長などを務めた方で、こちらも紹介の紹介で巡り会いました。
日本メディカルダイエット支援機構の理事長の叔父が日本社会事業大学の学長であった関係から福祉人脈もあり、生命科学の研究分野の医学、薬学、栄養学、保健学、運動科学などの人脈は東京から引き続いています。東京の人脈も、東京にいたときでも年に1〜2回しか会えていなかったので、新幹線で3時間ほどの岡山と東京の距離では同じくらいの感覚で会うことができます。
とはいっても、情報収集、研究をリモートでやろうとしても、取材先・検討先に通信環境が整っていなかったために、なかなか進められなかったということがあります。ところが、コロナ禍のためにリモートの情報収集、打ち合わせが当たり前になり、急に進みやすくなりました。今はリモートの講習や情報提供というと、対面方式がコロナ対策でできにくくなった代わりというのが、まだまだ多いのですが、全国どこでもつながるという便利な時代だけに、これからは岡山を東京と同じよう(岡京?)に考えて活動していきます。