厨房業界の取材先から広がった人脈

厨房業界の取材を始めたばかりの社会人の駆け出しの頃、この業界の関わりが広範囲であることを知って、面倒だというよりも、さまざまな行政機関に行けることに期待をいだきました。厨房機器は機械であるので通産省(現在は経済産業省)、火災関係の安全は自治省(現在は総務省)、学校給食は文部省(現在は文部科学省)、病院給食と福祉給食は厚生省(現在は厚生労働省)、産業給食は労働省(現在は厚生労働省)、自衛隊給食は防衛庁(現在は防衛省)、食材は農林水産省といったように多くの行政機関に渡っていました。
このような業界に関わることから、厨房業界は政治家との付き合いを重視していて、当時の日本厨房機器工業会(現在は日本厨房工業会)は業界代表が理事長、政治家が会長となっていました。別に厨房設備士会を設けていて、その会長も別の政治家でした。この先生方には『月刊厨房』の取材などで訪れ、その派閥の政治家も紹介してもらい、それぞれの厨房機器に関わる業界に影響力のある先生方も紹介されました。厨房業界に関わる両先生は、後に大臣となり、関わりのない業界に影響力のある先生方とも知り合いました。
これに別のルートで知り合っていた音楽業界、芸能界、テレビ業界に関わる政治家、医療や福祉、教育、食品に関わる政治家などと広がっていって、気づいたときには政治家のパーティー券を選挙が近づいてきたときや当選後、大臣就任時などに購入先を大量に探さなければならない状況になっていました。こうなるとブローカーかと言われるような状態で、さまざまな業界の人脈もできてきて、これが新たな仕事にもつながりました。
しかし、本業の研究や教育、執筆にかける時間が少なくなり、そんなしがらみから抜け出したいという気持ちもあって東京から離れることを模索していました。それがかなって岡山に移住できたのは60歳を超えてからのことでした。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)