ポストコロナ「信じるものは足元をすくわれる」その2

東京にいたときに、まさに「足元をすくわれる」という状態になったことがあります。そのときには、年月をかけて作り上げてきた人脈が周囲にいくらでもいたので、やってきたことが根底から覆されても復活するのは、それほど難しくはありませんでした。
どんなことで足元をすくわれたのかというと、大転換期は3.11の東北大震災でした。30代の中頃からテレビのタイアップが大きな稼ぎになっていました。民放の全国キー局では、空前の健康ブームが起こっていて、健康をテーマにすれば視聴率が稼げるという時代でした。医学、薬学、栄養学などの専門家との人脈を構築していて、食品業界のPRも手がけてきていて、テレビ関係者とも番組企画を提供して交流してきていたので、よく仕事が持ち込まれました。
私どもに持ち込んでくるのはテレビ局スタッフや広告代理店だけでなく、食品業界団体やメーカーからも、コメンテーターとして出演する先生からも助けを求められました。
健康を掲げた番組の内容を厚くするためには、テレビ局から飛び出してカメラ取材を数シーン入れるのが普通で、その活動費を提供することで商品や販売店、商品に関わる専門家を登場させるということも行われていました。クイズ形式の番組では、問題を作成して持ち込むことで番組に取り上げてもらえるということで、その作成が求められたこともよくありました。番組内のプレゼントはほとんどがタイアップ企画で、番組スポンサー以外の商品がプレゼントされるのはタイアップです。
全国キー局のすべて、各局ともに複数の番組があったので、それなりに需要もあり、活動費の一部が回ってきていました。それが急に足元をすくわれる形になったのは、大震災のために番組の途中で震災関係の話題が差し込まれることになり、タイアップが急遽中止になることがあり、タイアップを仕掛けにくくなりました。健康番組も減り、取材先として差し入れるのは放送局にスポンサーとして広告を入れている会社ばかりになりました。テレビ番組で急に工場見学、商品のランキングが増えたのも、そのためです。タイアップが減ってくると、そこで活動していたテレビマンが去ってしまい、東方の窓口がいなくなった局もあります。
もう一つ足元をすくわれることがありました。それは、コメントに出たり、取材に応じる専門家にギャラが出なくなったことです。番組の制作費も減り、専門家がクリニックや研究機関などの宣伝のために出演するようになって、ギャラがないとなると、私たちに回ってくる分もなくなりました。ギャラは出ないのに、番組の企画や取材先の協力を求めてくるのは前と変わらず、日本メディカルダイエット支援機構を理事長の移住に合わせて岡山に本部を移動させてからも、全国キー局の番組に何度も協力してきました。
コロナ禍になってからリモート会議が盛んになると、文章の企画提案だけでなく、リモート会議に参加させられることも増えて、かえって忙しくなってしまいました。ギャラが出ないのに、です。岡山はNHKのほかに民放5局が放送されていて、その放送も岡山県と香川県を各局ともにカバーしているので、ネタ先が2県分ということで便利に使われています。