ワクチン担当大臣が就任したあとの参議院本会議で「令和の運び屋と言われるように頑張る」と発言しました。“運び屋”という言葉のイメージは、安全なものというよりも危険なものを闇で運ぶ人を指すときに使われることが多いことから、違和感を感じた人も多かったようです。その時点の国民の感覚は、ワクチンは安全なもので、安心のためのものであって国民が早く接種したいと願っているのに、運び屋という言葉が相応しくないと感じたからです。
ところが、運び屋が約束していたワクチンを運べなくて接種予約を取り消さなければならないことになり、その原因を自治体や企業がワクチンを持っているのに使わないというような言い方をされて、国民の意識が変化しました。
その意識の変化が、ワクチン接種は安全を運んでくるのではなくて、むしろ危険を運んでくるのではないか、その運び屋になっているのではないかという感覚も生み出しました。
ワクチン接種はウイルス感染を抑えるということで、接種した人は感染しない、接種した人が感染させることはないという思いから、国のトップがテレビ画面を通じてですが、国民に約束した安心安全が実現されるのかと思うようになりました。これで不自由な思いをするだけでなく、酸素の吸入量が減ることで健康面にも影響を与えるマスクから解放されるのかと期待が膨らみました。
ワクチンを摂取すれば免疫が向上するから、もうマスクは必要ないのかというと、厚生労働省はワクチンの有効性について「現時点では感染予防効果は十分には明らかになっていません。ワクチン接種にかかわらず、適切な感染防止策を行う必要があります」と公表しています。まだマスクは必要で、いつ着けなくてよくなるかは、まだわからないということです。
ワクチン接種によってウイルスに感染したとしても発症しないので、気づかないうちに自分が感染して、他の人に感染させる可能性もあります。その心配が当たってしまったとなると、運び屋はウイルスを運んでしまう私たちのほうではないか、私たちを運び屋にする結果を引き起こしたのが令和の運び屋だったのではないかとの疑念も湧いてきてしまいます。