「なくて七癖」は、癖がないように見える人でも、少しは癖を持っているということを表す諺(ことわざ)です。ただ、癖があるというだけではなくて、人には癖があるのは当たり前だから、あまり気にすることをはないというように使われています。どれくらいの癖までが許容範囲なのかというと「なくて七癖」に続けて「あって四十八癖」という言葉もあって、随分と多くの癖も許してもらえる世の中であったらいいのに、と思ったりもします。
自分の癖は、自分ではわからないもので、それは弱点であることもあれば強みであることもあります。だから、他人の評価は重要で、それに耳を傾けることによって自分の特徴が伸ばせるというプラスの意味でとらえるというのが、厳しい世の中を乗り切っていくためには必要と認識しています。逆に言うと、他人の癖には寛容であることが求められているわけですが、そのことは今までの常識であって、新型コロナウイルスによって、これまでの常識が大どんでん返しされてしまった時代には、今までどおりに行動すること、元のとおりになることで、よかった時代が再び戻ってくると言えるのかどうか、むしろ戻らない可能性のほうが高いことも当然に予測されます。
これまでの常識や拘り(こだわり)は、新たな時代に、新たなことを始めようとするときには、寛容の心をもって受け入れることはできにくく、むしろ邪魔にもなりかねません。そこで今回の諺もじりは「なくせ七癖」をタイトルに掲げて、考察を進めていきます。
事業を進めるときの財産となった“癖”といえば、①過去の成功例、②仕事の歴史、③知識、④人脈、⑤金脈、⑥地域の特性、⑦対象者をあげています。これは健康づくりに取り組む自分たちの例であって、もちろん立場や経験によって違ってきます。対象者というのは子ども相手なのか高齢者なのか、それとも男性か女性か、スポーツ選手か一般の方かといったことで、ここが違っていると成功例も知識も人脈なども活かしようがなくなります。対象者が違っているのに、自分の七癖を押し付けようとする人は、これまでにも数多く目にしたことであり、そんな人とも接してもきました。