障害という言葉は害があるという印象を与えることから表記として使わないようにするといった動きがあります。害には妨げ、災いの意味があり、障害を“障がい”と表示することはメディアにも広がってきています。障害そのものを表すときには“障害”として、障害がある人を表す場合には障がい者というように“障がい”と使い分ける動きも広まってきています。
しかし、私たちは障害も障害者も“障害”と表示しています。というのは、障害者にとっての障害は本人のことではなくて、自由に動こうとしても、それを妨げる障害が社会環境のほうにあって、それこそが障害者に障害を与えていると考えているからです。
このことはNHKの考えとも一致していて、障害はマイナスのイメージを与えることを和らげようとして障がいと使うことは違和感があるとしています。障がいとすることで、かえって障害者が抱えている課題が見えなくなる恐れがあるとの考えもあります。
心身の障害は、障害との表示で違和感がないとしても、発達障害となると違和感を感じる人も少なくありません。特に違和感を抱いているのは、発達障害児の保護者です。発達障害は脳そのものに障害があるわけではなく、脳の発達にズレがあり、機能に凹凸が現れていると一般に説明されています。発達障害児の支援を行っている立場としては、障害があることを認めて、その障害を改善するために医療的なアプローチをしていくのが効果的な改善につながることから、保護者に対して、あえて発達障害は“障害”であることを伝えています。これは発達障害の一つである学習障害の改善についても同じ考えをしています。
医学の診断名は発達障害で、法律の名称も発達障害者支援法となっています。しかし、発達障害がある人が社会に馴染めず、生活に不便を感じているのは社会のほうに障害となることが存在しているからで、学習の障害を生み出しているのも学習環境のほうが本来なら改善されているべきである障害があるからです。その学習面での障害を学業技能を向上させること、そのためのツールを使うことによって改善していくことで、障害を障害と感じさせないための活動を始めています。