「まごにもいしょう」と書かれていれば「馬子にも衣装」とすぐにわかるのですが、テレビを見ていて、アナウンサーやナレーターの発音がよくないと“馬子”ではなく“孫”に聞こえてしまい、どんな衣装を孫に着せるのかと思ってしまうようなこともあります。「馬子にも衣装」は、どんな人間でも身なりを整えれば立派に見えてしまうことのたとえに使われる諺(ことわざ)で、どんな人間というところに馬子という馬に人や荷物を乗せて引いて歩く職業を持ってきたというのは、あまりよい服装をしていない人のことを指しているからです。
「孫にも衣装」と聞き間違えて、そのまま覚えてしまうと、「孫は、どんな衣装を着せても可愛い」「孫に服を買い与える」という意味合いになりそうですが、本来の「馬子にも衣装」の意味を知っていると、“大したことがない孫を可愛がりすぎている”というような変な意味に取られても仕方がないことです。
コロナ後を考えるシリーズで、あえて「孫にも衣装」という言葉を持ってきたのは、これはいいことだ、素晴らしいと思い込んでしまうと、状況に応じた的確な判断ができなくなることを示そうとしてのことです。自分の孫を可愛がりすぎるあまりに、他の同年代の子どもとの違いが見えず、ついつい甘やかして育ててしまったがために、本来の子どもの能力が引き出せなくなることがあります。
教育方針が間違ってしまったのではないかという例として出されることが多いのは“ゆとり世代”です。ゆとり世代は、義務教育で“ゆとり教育”を受けた世代のことで、1987年4月2日から2004年4月1日までに生まれた世代を指しています。現状(2021年)では上は34歳、下は17歳になります。祖父母の年齢にもよるものの、上は子ども、下は孫の年齢に相当します。
ゆとり教育は、詰め込み教育の反省から授業時間の大幅削減が行われ、学習指導要領が変更され、2002年には“生きる力”を掲げた学習指導要領が施行されました。学力低下の不安から改定されて、脱ゆとり教育が目指されましたが、小学校、中学校、高等学校を通じて競争社会を経験してこなかったために、平穏な時代は乗り切れても、厳しさを増した時代には対応できにくい世代とされています。
“生きる力”を掲げたのに、実際には生きる力も低下しているとも言われ、新型コロナウイルス感染症の拡大によって低下した健康度と学力が、これからの社会で対応していけるのか、そこが不安視されているところです。