50歩と100歩では、2倍の開きがあって、これを差がないことのたとえに使われても理解できない、昔から言われてきたことだから、なんとなく受け入れているという人もいます。諺(ことわざ)の「五十歩百歩」は、50歩を逃げた兵士が100歩を逃げた兵士を臆病だといって笑うことを見て、どちらも逃げたことには違いがないということから、差がないことのたとえとして使われています。
もう少し詳しく説明すると、梁(中国の南北朝時代の江南の国、502〜557年)の国王が、儒学者の孟子に「善政を行っているのに、周囲の國方の人々が慕い寄ってこないのは、なぜか」と質問したときに、孟子は逆に問いかけています。「戦場で戦いが始まった瞬間に怖くなって50歩逃げた兵士と100歩逃げた兵士がいたとする。そのときに五十歩を以って百歩を笑うのは、どんなものでしょうか」と。王の政治もそのようなもので、周りの国と比べれば優れた点はあっても、人々の生活を安定させるという大きな目的からすれば、まだまだ似たようなもの、と諭したというのが由来です。
50歩の後退と100歩の後退は大きくは変わらないということは、新型コロナウイルス感染症の拡大への対策にも言えるようなことで、人流の抑制、飲食店の営業自粛を求めて、厳しい制限を行った自治体が感染確認者が減ったのかというと、増えるときには全国的に増え、減るときには全国的に減るといったことで、50歩の対策しかしなかった自治体を笑った100歩の対策をしてきた自治体も、同じような結果となりました。
今回のテーマは「五十歩百歩」をもじった「五十歩五十一歩」ですが、これまでの対応の反省をしようということではなくて、コロナ禍による歩行不足、食べ過ぎ・飲み過ぎ、健診と検診の減少、通院の減少といったことから大きく低下した国民の健康度をV字回復させるための行動について示すために、たった一歩の違いに着目してほしかったからです。
一歩の違いについては次回に続きます。