ポストコロナ「果報は練って待て」1

コロナ禍で大きく低下した国民の健康度を一気に、大きく改善するためには、これまでの意識を変革しなければならない状況になっています。
いくら努力をしても報われないということは、これまでにもあったことですが、新型コロナウイルス感染症が拡大して、さらに3〜5年ごとに新たな感染症が蔓延する可能性があるとの危機感も抱かれています。今でも、どうにもならないほどに追い込まれている状況のときに「果報は寝て待て」と言われても困るという人も多いはずです。
しかし、何もやっても好転しないどころか、かえってよくないところに落ち込むような状況では、もはや神に祈るしかない、その手前の段階で「果報は寝て待て」と無駄にもなりかねないことには積極的に取り組まないようにしようということも珍しいことではないようです。
今回のテーマの「果報は練って待て」は、もちろん「果報は寝て待て」という諺(ことわざ)をもじったものです。この諺は、運というのは人の力では、どうにもできないものだから、向こうからやってくるまで焦らずに成り行きに任せて時機を待つのがよいということを示しています。
この諺を聞くと、良い結果が出るまでは寝て待つより方法がないという諦めの感覚として捉える人もいますが、“果報”の意味がわかれば、諦めの感覚でいてはいけないということが理解できるはずです。“果”は善いことを行ったときに良い結果が出ることを指していて、因果は正しく回ってくることを指しています。“報”は行為の結果が思ったとおりにいかなかった報い(むくい)のことで、果報は良い結果として出ることもあれば悪い結果として出ることもあるというのが本来の意味です。
しかし、今では果報は良い結果というように思っている人が大半です。丁半博打(ばくち)のようなもので、開き直って待ちの姿勢でいるということで、決して諦めの胸中でいることを示しているわけではないのです。良い結果を出すために必死になって動き回るのではなくて、待ちの姿勢でいても良い結果が訪れるという状態にするためには、それなりの準備と徹底した対策を練っておくことが重要です。
それを示すために「果報は練って待て」というテーマを掲げましたが、特に練ってから待つべきだと考えているのはマーケティングの世界です。これについては次回に続きます。