ポストコロナ「果報は練って待て」2

良い結果が訪れることを待ち望んでいる意味として使われることが多い「果報は寝て待て」は、実は果報を待つには徹底して練りに練った方策が必要だということを示しています。寝転んでいればよい、というような安易な意味ではありません。
コロナ禍のせいで、望んだこととは違った結果になった人が、これまでの展開を見直すために期待を寄せているのはマーケティングです。しかし、これまでのマーケティングの意識を変えないと、マーケティングの成果が出にくいだけでなく、望まなかった厳しい状況が訪れることにもなりかねません。
マーケティングというと、一般には販売の意味と考えられがちです。アメリカの経営学者のフィリップ・コトラーは「マーケティングと販売は、ほとんど正反対とも言える活動だ」と断定しています。
また、現代経営学のマネジメントの発明者とも言われる経営学者のピーター・ドラッカーは「顧客のことを知り、製品をそれに合わせ、自ずから売れるようにすることがマーケティングの目的である」と言っています。
売ろうとしなくても勝手に売れていくのはマーケティングであって、売るために必死になって営業をかけていくのは本来のマーケティングの姿ではないということを指し示しています。ましてや今の大困難の時代には必死に売るために動きたいという気持ちは理解できるところですが、こんな時代だからこそ勝手に売れていくための方法を練りに練ってから進むことが重要になります。
といって、練りに練った結果が出るまで何もしない、「果報は寝て待て」ではなくて、良い結果が出る方法を確立するための行動は同時に行うべきことです。その考えを言葉にしたのが今回のテーマの「果報は練って待て」。練りもしないで、周囲のアドバイスを真に受けたり、過去の経験や思いつきでの行動は、コロナ禍で世の中の意識が大きく変化した時代には、決して誉められたことではありません。
練りに練るためには調査が必要だということでマーケティング・リサーチに走る例も多く、コロナ禍で儲かった業種の一つにリサーチ(市場調査)会社があげられるくらいです。そのリサーチについての考察は次回に続きます。