コロナ禍でひどい思いをした人ほど、大逆転を狙おうとするところがあります。健康の話でいうと、コロナ禍での運動不足、乱れた生活習慣、家にいる時間が増えたことによる食べ過ぎ・飲み過ぎで健康度は大きく低下しました。病院に行く人も減り、がん治療という急を要するはずの治療でも大きく数が減ってしまうほど通院患者は減りました。その結果が、病気の人を増やすことになり、すでに治療を受けていた人は治りが遅くなり、さらに悪化することも当たり前のように考えられる状況となりました。
重い病気になって、あのときに身体を動かしていれば、食事や生活習慣を見直していればと悔いても遅いだけに、健康づくりにかける時間は、もっと増やしてほしいところです。とはいっても、経済的にも苦しい結果をもたらしたコロナ禍の影響から脱却するには、もっともっと頑張らなければならない状況にあるのも理解できます。
コロナ禍の影響を強く受けていたときには、健康面を優先させるのか、それとも経済面を優先させるのかで政治の世界も経済の世界も論議を交わしました。しかし、その時期が過ぎたら、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といった感じで、経済最優先に切り替わりました。経済面の大きなマイナスを取り戻すには、これからも苦労の時代は続きます。超高齢社会に完全に突入した我が国は経済的な発展が続かなければ、急増する高齢者を支えようにも支えきれない状況になるのは火を見るより明らかです。
一方、健康面では経済的な支えがなければ継続も難しくなります。しかし、これはコロナ禍の以前の感覚であって、高齢者は支えられる立場でいればいい、高齢者を支えることも、これまでと同じことを続けて、徐々に高めていけばよいという意識は通じなくなっています。
コロナ後の経済発展は、身体の負荷を無視してでも頑張る、頑張りすぎて病気になっても医療制度がしっかりしているので対応してもらえるという考えではなく、“自分の健康は自分で守る”という意識で、それこそ国民全員が「自分の健康は自分で守る会」の会員になったような意識で、自分、家族、親戚などを健康のためにするべきことを考え、実践していくことが必要ではないでしょうか。
そして、その考えと行動は地域に広げて、万が一にも国が対応できないような状況になっても、自分たちで自分たちのことは解決するという意識の高まりこそが、苦しさの先の悟りの状況の彼岸に達するためには必要ではないかということを伝えたいのです。