コロナ後を考える連続コラムのテーマの「鬼の片棒」を見て、「鬼に金棒」の変換ミスでないかと思われるかもしれませんが、ちゃんと“鬼の”“片棒”と打ち込んでいます。「鬼に金棒」は素手でも最強の鬼は金棒を持ったら、もっと強くなって手に負えない状態になってしまうということで、優れた人にふさわしいものが加わると、一段と引き立つことを指しています。
今回はメインテーマの「鬼の片棒」ではなく、サブテーマの「鬼の金棒」から書き進めていきます。「鬼に金棒」はプラスの意味合いですが、「鬼の金棒」となるとマイナスにもなりかねません。鬼の金棒は、金棒そのものを指しています。鬼が持っていれば「鬼に金棒」ですが、持っていないときには「鬼の金棒」となります。金棒が置いてあっても、鬼がいなければ恐れることはないというのは普通の感覚であっても、その鬼が新型コロナウイルスであり、それに感染した人、つまり感染させていく人となると、鬼がいない、もしくは収束と思えるほどに感染者が減ってきたときにも、金棒を安心して見ていることができなくなります。
金棒とは何を指しているのかというと、新型コロナウイルス感染症のせいにして、これまでならできなかったような厳しい処置をすることで、その処置をした人を鬼だとしています。
「鬼の所業」という言い回しがあります。本来の使い方は「鬼畜の所業」ですが、人間らしさが感じられない振る舞い、人でなしと非難されるような行いのことです。
商売がうまくいかなくなり、それは社会的状況のせいというよりも経営者の判断であるのに、周りのせいにする人がいます。それでも事業を縮小する、社員を首切りする、会社を売却するということを決断したら、非難をされる、まさに「鬼の所業」と言われかねないはずです。ところが、コロナ禍は、すべての国民(といってもいいくらい)が我慢を強いられる状況になって、社会的意義がある企業を守らなければならないという理由(言い訳)で、これまでならできなかったことをバッサリと実行した例があり、その被害者はコロナ禍の苦労に加えて、収入がなくなるという最大級の困難に見舞われた、まさに「鬼の金棒」の所業の被害者を増やすことになりました。
具体的な話については、メインテーマの「鬼の片棒」として次回に続きます。