新型コロナウイルス感染症を鬼に例えて、鬼退治をすれば、すべてよしとする考えでよいのかという検討をすべきタイミングだと認識しています。経営がうまくいかなかったのを、すべて鬼のせいにして、鬼がいなくなったら、つまり感染症が抑えられる状況になったら、元のとおりの生活が過ごせる、以前と同じ考え、手法で取り組めばよいということを、よく聞かされます。
コロナ禍を経験して、それで意識が変わらなかったのなら、元に戻ることも可能でしょう。しかし、意識は変わっていて、一部の先端を走る人に付き従っていればよいということでは生き残ることができない状況があります。
コロナ禍は被害を受けた人の感覚で、桃太郎の鬼退治に例えるなら退治された側の感覚です。コロナ禍で経済が動かなかったから景気が悪くなったと言われて、これからは消費に走ってもらおうという施策が実行されます。しかし、銀行はバブル期と変わらない収益となり、株価も上昇しています。「売れる→会社が儲かる→株価が上がる」というのが普通であるのに、全体的に売れないから儲かったという会社が出ています。
社員は給料が減ったとしても、お金を使いに外に出ていかない、リモート勤務で時間に余裕があるということで、まだまだコロナ禍(わざわいと言ってよいのか)が続いてほしい、注意喚起している第6波が起こってほしいと願っている人も少なからず存在しているのです。
これこそコロナが鬼だとしたら、「鬼の片棒」を担いでいるようなものです。
ここで急に発達障害のことを書きますが、発達障害者というのは発達障害があるうえに、社会的障壁の影響を受けている人のことを指しています。コロナ禍でいえば感染症という鬼の存在だけでなく、コロナ禍という社会的障壁を取り除かないままできた対策がよくないからコロナ被害者になっていると考えることができます。コロナ後の社会を考えるなら、感染症対策と同時に、もしも再び厳しい状態の感染症が蔓延したときにも被害を最小限に減らすための社会的障壁を取り除くための対策を今から始めるべきではないか、ということで「鬼の片棒」という言葉を使って述べてきました。