「善は急げ」は、よいことはためらわずに、ただちに実行することという意味で、チャンスは逃すべきではないということを示しています。体によいものは積極的に食べるべきだし、これ以上食べてはいけないという量だったら食べるのを止めることも即決即断して、健康の維持を優先させることが大切だとの考えがあるからです。
“もったいない”というのは世界に誇るべき日本人の精神性そのもので、MOTTAINAIは今や世界に通じる合言葉となっています。もったいない(勿体無い)精神は素晴らしいことではあっても、食べきれない量の料理をもったいないから捨てるのではなくて食べてしまうというのは、少し違うような気がします。もったいないことになってしまったのだから、次からは食べられる量だけを作る、いつもと同じ量ではなく、そのときの体調などに合わせて作る量を変えて、少なくとも捨てることがないようにするというのが、正しい意味合いだと感じます。
ご飯中心の日本人の口中調味の食べ方は、一人ずつ味わい方が違っています。和食であっても懐石料理などは一品ずつ提供されるか、一度に出されたとしても一つずつ食べられる量が器に盛られています。一つずつ料理が出てくるということでは洋食のコース料理も同じで、それぞれの同じ味の料理を誰もが同じように味わっています。
これに対して中華料理の回転するテーブルの上に置かれた大皿から好きなだけ取って食べる、それも一つの料理を味わったら、お茶やお酒で口の中を整えて、次の料理を食べるということではなく、前の料理の味が残っているところに他の料理を入れて、味を変えて食べるということをしています。
中国式の接待は食べられる量を出すのではなくて、食べきれない料理を出す、残すのが充分に満足したという意思表示ということで礼儀となっています。“善”の気持ちで出してくれたものは慌てて食べないのが基本であるのに、もったいない精神(?)を発揮して、“急いで”無理をしてすべてを食べてしまったら、追加で料理を出されて大変なことになってしまいます。
余計に食べるようなことをすると、これがコロナ禍で低下した国民的な健康度を、さらに低下させることにもなります。では、どのように考えるべきなのか、という話は次に続きます。