健康長寿の最良の見本である義父の久郷晴彦先生について、前回(日々修行195)の最後に触れさせてもらいましたが、「健康長寿の最良の見本」と言っていたのは私だけではありません。
久郷先生は薬学博士として健康関連の講演に招かれる機会が多く、私も同じ機会に講演をさせてもらうことが何回もありました。といっても、私の役割は久郷先生の前座であったり、久郷先生の講演の内容を受け取って(バトンタッチ)、より具体的な健康づくりの対処法を話させてもらうということでした。
時には、久郷先生と私の他に、もう1人の専門家(医師が多かった)が講演者となることもありました。その回数は記憶では4回であったと思いますが、そのときに“もう1人の専門家”が口にしていたのが「健康長寿の最良の見本」でした。
「久郷先生を見習って、80歳を過ぎても元気で話をさせてもらえるように頑張る」といったことや「皆さんの目の前に健康長寿の姿がある、ぜひ皆さんも見習って元気に過ごしてほしい」というように表現に違いはあるものの、言わんとしていることは同じです。
久郷先生は京都大学から大手乳業メーカーに転出して、研究所で乳製品と成分の研究をされていました。単に乳製品の研究だけでなく、腸の健康と長寿の関係、健康長寿のための食べ物などの研究も行っていました。
現職のときから講演や執筆もされていましたが、専門家対象から徐々に一般消費者に話す機会が増えていって、私が出会ったときには乳製品の話は少しだけで、幅広い健康の話へと移っていました。
その成果の一つが著書・監修の出版物の数で、150冊を超えています。その中には、健康づくりに取り組むグループのテキスト(教科書代わり)として使われるものも数多くありました。
私のように“専門分野がないのが専門”ということではなくて、久郷先生は薬学と食品成分の研究という専門分野がありながらも、広く健康づくりに役立つ情報を発信するという“他にはいない専門家”でした。
私が健康科学情報センターという情報発信の民間組織を立ち上げ、その中に健康ペンクラブという健康に関する情報発信者の集まりを作ったときに、真っ先に代表になってほしいと話をさせてもらったのが久郷先生でした。
健康ペンクラブの初代会長は久郷先生で、当時の副会長は臨床栄養の師匠に務めてもらいました。その師匠は「年齢の順ということで」と言っていましたが、幅広い健康情報の分析や発信では久郷先生は会長に相応しいと誰もが認めていました。
当時の久郷先生は、全国キー局のテレビ番組への出演も多く、年間30回はテレビで見ていました。その活躍の期間は70歳から91歳までで、90歳が迫っていたときに、私と妻の岡山移住に付き合ってくれました。
東京ではメディアへの露出も地方での講演も、まだまだ続いていて、移住をしないように言ってくるテレビ局や出版社もありました。東京では、いくらでも仕事がある中での移住決断でした。
移住後も大手出版社の健康雑誌の特集や単行本の執筆があり、これは私が手伝いをしました。そのときに言われたのは、「これまで自分の横を伴歩してくれていたので、これからは私が伴歩をする番」ということでした。
言われてみると、私は伴走ならぬ伴歩を、ずっと続けてきたようなものでした。
久郷先生の活躍の時期の入口の70歳を迎えようとしている私が、久郷先生を見習って始めたのは、当たり前のことかもしれませんが、“前を見て話す”ということです。
講演や講習ではパワーポイントを使わず、伝えたい内容は文章や資料にして、話を聞いている方々が、どう感じているのかを確認しながら、反応に合わせた伝え方をすることです。話す相手によって、資料を作り直す、文を書き直すというのは当たり前のことです。
これは簡単そうでも案外と大変なことで、画面に映し出して、それを説明していく、聞いている人に背を向けている、会場が暗いので聞いている人の顔(表情)が見えない中で話してきた人(自分も含めて)には、新たな修行が始まったようにも感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕