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リテラシーについては、これまでも何度か触れてきました。

簡単に整理をすると、リテラシー(literacy)は、もともとは文字や文章を読んで、内容を理解して文章を書く能力を指す言葉で、膨大な情報の中から必要な情報を引き出して活用するという意味も含んでいます。

広範な意味のリテラシーの中から、自分が長く関わってきた健康分野に限ってみると「健康リテラシー」という分野になります。健康リテラシーは「健康や医療に関する正しい情報を入手して、理解して活用する能力」を指しています。

健康リテラシーの範囲は、食事(栄養)や運動、保健といった生活習慣に関する情報となるのですが、さらにピンポイント的に絞ったのが「食のリテラシー」です。

今更ながら振り返ってみると、自分が関わってきたことは「食×リテラシー」であったようで、今のように膨大というレベルを通り越して、情報が洪水のように押し寄せる時代には、食に限っても情報を確認することが難しいような状態です。

情報の発信源の中心が新聞や雑誌、書籍からテレビ、インターネットへと移ってきて、今ではネット検索で、いくらでも情報が得られるようになっています。

あまりにも情報量が多くなりすぎて、押し寄せる情報の波の中から大切なこと、自分にとって重要なことを選択するのは容易ではありません。

できることであれば、多くの人が「食のリテラシー」を身につけて、それぞれの人が正しい情報を見抜き、その情報が使えるものなのか、自分に合っているのか、継続できるのかを考えて、食べる行為に取り組んでもらえればよいのですが、そのためにはクリアすべきことがあります。

その一つ(始まり)は食品に含まれる栄養素だけを考えればよいわけではないということを知ることです。食品に含まれる栄養素が必要とすること(健康になること)と合致していて、それを食べることが基本中の基本であることは間違いではなくて、そのことは認めるところです。

それに加えて、食について深く理解するために、食と関わる広範囲のことに目を向けることも重要となります。

このようなことを話すと、「食のリテラシーは“フードリテラシー”と同じことか」と聞かれることがあります。ネット検索をするとフードリテラシーが数多く出てきて、食のリテラシーで検索してもフードリテラシーが紹介されます。

フードリテラシーは、栄養の知識だけでなく、どこから食物が来るのかを知ること、食物選びや調理する能力、食事のガイドラインに適合する食事をする能力までを含んでいると理解されています。

目の前にある食品が、どのように作られて、どのように運ばれてきて、どのように調理するのが栄養学的に正しいのかを知ることは大切なことで、これが健康を支える食の基本となるはずです。

食品を料理として食べるためには、調理のときに廃棄される部分が出るので、その先行きまで考えるということも必要かもしれません。ゴミの感覚で捨ててしまえば、そこから先は考えなくてよいというような一般的な認識ではなくて、フードロスとして考えることも大切だとは思います。

最も重要だと考えるのは、食べた(口に入れて噛んだ)あとのことです。体内でどのように変化して、最終的にはどのようなことを体内で起こしているのか、それによって私たちは生きていくことができるということを再確認することです。

身体での代謝の最後は入れたものが出てくることですが、これについては知りたいという人と知りたくないという人が拮抗しています。

知りたいという人の声では、堆肥として次の食物(植物としてだけでなく、動物の飼料にも)を得るために使われる循環型の社会の流れの根幹に人間の身体があるという考えが多くなっています。

このことを「日々修行」の中で書いていくと、食のリテラシーの話だらけになってしまいかねないので、ホームページの最新情報で新たな連載コラムの「食のリテラシー」を明日から始めることにしました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

2040年には団塊ジュニア世代の全員が65歳以上になることを紹介して、どのようなことが起こるかの入口の話を前回(セカンドステージ40)書きました。

団塊ジュニア世代(1971年から1974年に誕生)が高校卒業・大学入学の1991年にバブル崩壊が起こりました。この経済的な大不況の中、大学を卒業することになり、就職氷河期に遭遇することになり、その後はよい経験をしたことがないという世代の始まりにもなりました。

働いても収入が増えない、増えても出費が増えているために実質賃金が上がらないという30年間を経験して、何もよいことがなかった世代が、2025年には50歳を超えています。

定年退職年齢が65歳まで引き上げられて、これからの15年間によいことが起こることを願っても、高齢化は進む一方であり、少子化も進んでいくので、介護が必要な世代を支える働く世代への負担は、ますます高まっていきます。

そんな状況で経済活動を盛んにしていくには、どれだけの負担がかかるのか想像がつかないという声もありますが、さらに想像がつきにくくなっているのは、団塊ジュニア世代の消費動向です。

日本人の平均年齢は50歳に達して、団塊ジュニア世代は平均年齢を超えたばかりのところにあります。これまでの常識であれば、50歳を超えると生活に余裕が出てきて、消費が高まることが期待されていた年代です。

ところが、団塊ジュニア世代はバブル崩壊後に社会人になった節約型の消費世代です。そのような世代が、これからも増え続ける中で、どのような経済活動をすればよいのか、そのために働く人の健康づくりを、どのように考えていけばよいのか、そこがセカンドステージを掲げる私たちの重要なテーマとなっています。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

発達障害があると診断された人は発達障害者と呼ばれがちですが、それが正しいのか、それとも間違っているのかという話を書かせてもらいます。

発達障害者支援法では、発達障害者は18歳以上を指していて、18歳未満は発達障害児と年齢によって分類されています。単純に年齢だけで「発達障害者」「発達障害児」と呼ばれるわけではなくて、もう一つの要件があります。それは社会的障壁があるということです。

社会的障壁は、日常生活や社会生活を送る上で障壁(妨げ)となるものを指しています。

障壁というのは、簡単に表現すると道路の段差のようなもので、普通に歩ける人にとっては何も問題がないような段差(3cm程度)でも、車椅子を自分で操作している人にとっては前に進むことができない大きな障壁となっています。

障壁は物理的なものだけではなくて、書類の漢字や街角の表示に使われている文字・記号が理解できないものだと、何も書かれていない、表示されていないのと同じことになり、これが自由な行動を妨げることになります。

発達障害の場合には、日常生活や社会生活を営む上で障壁となっている社会的な事物、制度、慣行、観念を含む一切のものが該当します。周囲の人間が、どのように判断するかではなくて、本人が困難さを感じていることのすべてが社会的障壁となってしまうのです。

この考えは、発達障害者支援法に書かれています。

発達障害者(18歳未満は発達障害児)とは、発達障害があり、そのために社会的障壁が生じている人を指していて、社会的障壁がなければ発達障害者(発達障害児)とはならないということです。

つまり、発達障害者(発達障害児)を作り出しているのは、社会的障壁に気づかず、社会的障壁を継続させるようなことを許している、私たちだと言うことができます。

子どもは家族や学校などの環境に影響されながらも、その環境を受け入れ、従うしかないという立場(社会的弱者)であるだけに、どのような社会的障壁があるのか、それを考え、対処を常にしなければならないということでもあります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「高齢者安全入浴の日」高齢者入浴アドバイザー協会が不老不死を風呂不死にかけて不(2)死(4)と入(2)浴(4)の語呂合わせで制定。

「ビタミンCケアの日」ドクターシーラボが肌のシミ、シワの解決にビタミンCが有効として立春になることが多い2月4日に紫外線対策をすることを普及するために制定。

「妊娠の日」ジュンビー(東京都中央区)が妊娠・出産の情報を得てもらうことを目的に妊(2)娠(4)の語呂合わせで制定。

毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

初めて赤ワインを口にしたのは、小学生の頃に、母親の実家の寺院で、祖母が飲んでいた赤い甘いワイン(今にして思い出すと壽屋の赤玉ポートワイン)を味見したことかもしれません。赤ワインと健康との関わりについては日々修行153で書かせてもらいました。

壽屋は現在のサントリーの前身の会社ですが、私が子どもの頃に育った新潟県の山奥(当時の牧村)から都市部(高田市)に向かう途中にあったブドウ園で壽屋のワインが作られていたことから、このへんの経緯は知っていました。

さまざまな仕事を経験する中で、ワインを飲む機会はあったものの、アルコール度数が日本酒と大きくは変わらないので、同じくらいのペースで飲めば乱れることはないだろう程度の認識でした。

赤ワインと白ワイン、ロゼワインの製造法と内容成分については知っていましたが、これも今の時代であれば手のひら(スマホ)で簡単に検索できるような知識でした。それを知るための読んだ書籍は5冊ほどです。

また、肉料理には赤ワイン、魚料理には白ワインが合うということで料理との相性を滔々と述べる人もいましたが、フランスでは魚は食べないのか、ドイツでは肉を食べないのかといった素朴な疑問をぶつけたりもしていました。そんなことはないことは承知していたのですが。

まだ20代前半のときにフランスに行く仕事が舞い込んできました。これは厨房や臨床栄養の仕事でもテレビ関係の仕事でもなくて、霞が関の役人と政治家に付き合わされた形です。

当時はボジョレー・ヌーボー(新酒ワイン)が日本で紹介され始めた頃で、ちょうど訪問するのは蔵出しの時期ということで、フランスでボジョレー地区のワインを飲むことになったときには、仕方がないなという感覚でした。

ところが、ボジョレーのワインとして紹介されたのは、ボジョレー・ヌーボーとは別物でした。ボジョレー地区はフランスの中東部のブルゴーニュ地方の南側で、濃い赤色が特徴のボルドーと遠くは離れていない地域で、似たような濃厚のワインが出てきました。

これはボジョレーワインとして日本に紹介されるべきで、ボジョレー・ヌーボーと勘違いされてはいけないので別の読み方をしたほうがよいのでは、という話をさせてもらいました。それが受け入れられたわけではないのでしょうが、今では「ボージョレ・ヌーボー」と呼ばれるようになっています。

ボージョレ・ヌーボーで盛り上がっているのは日本とアメリカくらいと言われていますが、そのことを評してフランス人に言われたことがあります。それは「ワインの味がわからない日本人はボジョレー・ヌーボーでも飲んでいればいい」ということでした。

これは言い過ぎかとも思いますが、確かに抜栓して時間を経過させて、適度に酸化が進んでから提供しているのに、グラスに注がれてからグルグル回す人がいたり、ボジョレー・ヌーボーなのに同じことをしている人を見ると、そう言いたくなる気持ちがわからないでもありません。

ちなみに私は、ボジョレー・ヌーボーは2回しか飲んだことがありません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

腸内には1000種類以上、約1000兆個もの腸内細菌が棲息しているとされています。腸内細菌は善玉菌、悪玉菌、日和見菌に大きく分けられます。

そのバランスによって腸内環境が変化しますが、善玉菌が増えることによって便通や体調がよくなるだけでなく、認知機能が高まることが確認されています。

腸内細菌は生まれる前の胎児の腸内には存在していなくて、産道で母親から腸内細菌を受け継ぎます。誕生直後の赤ちゃんの腸内細菌のほとんどはアクチノバクテリア門に分類される善玉菌で、その多くはビフィズス菌となっています。

その後にはフィルミキュテス門の細菌が増えていきますが、これは乳酸菌や皮膚の常在菌などです。フィルミキュテス門は脂肪分解を抑える働きがあることから、一般にはデブ菌と呼ばれています。

60歳以降になるとバクテロイデテス門が増えていきます。バクテロイデテス門は日和見菌です。日和見菌は普段は腸内環境に影響を与えるものではないものの、悪玉菌が増えると日和見菌は悪玉菌と同様の働きをするようになります。バクテロイデテス門は脂肪の分解を抑えることからヤセ菌と呼ばれています。

腸内細菌とアルツハイマー型認知症の関係を調べた論文(2017年:アメリカ・ウィスコンシン公衆衛生医科大学)によって、アルツハイマー病の人はフィルミキュテス門とアクチノバクテリア門の細菌が減るのに対して、バクテロイデテス門の細菌はアルツハイマー病では増えていることが確認されています。

アルツハイマー病では脳細胞にアミロイドβなどのタンパク質が増えていくことが知られていますが、バクテロイデテス門の細菌が多い人ほどアミロイドβが増えている相関性が認められています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、ライフステージ別の留意点を示しています。ここでは乳児、小児、高齢者の留意点を紹介します。

〔乳児〕
出生後6か月未満の乳児では、推定平均必要量や推奨量を決定するための実験はできません。そして、健康な乳児が摂取している母乳の質と量は乳児の栄養状態にとって望ましいものと考えられます。このような理由から、乳児における食事摂取基準は目安量を算定するものとして、具体的には母乳中の栄養素濃度と健康な乳児の母乳摂取量の積としています。

この期間を通じた哺乳量は平均0.78ℓ/日との報告があるため、今回は0.78ℓ/日が基準哺乳量とされました。

6〜11か月の乳児では、母乳(または人工乳)だけでなく、通常の食品の摂取も考えなければなりません。しかし、この集団における知見は乏しく、そこで0〜5か月の乳児と1〜2歳の小児の値から外挿して求められています。

0〜5か月または6〜11か月という、それぞれ1つの月齢区分の中でも、区分内での成長は著しくなっています。したがって、各月齢区分に与えられた値は、あくまでもその月齢区分を代表する一点に過ぎないことに留意して、対象とする乳児の成長に合わせて柔軟に活用することが望まれます。

〔小児〕
食事摂取基準の策定に有用な研究で小児は対象としたものは少なくなっています。そこで十分な資料が存在しない場合には、成人の値から外挿して求めています。

耐容上限量に関しては情報が乏しく、算定できないものが多くなっています。しかし、これは多量に摂取しても健康被害が生じないことを保障するものではないことに十分に注意すべきです。

〔高齢者〕
高齢者では、咀嚼・嚥下能力の低下、消化・吸収率の低下、運動量の低下に伴う摂取量の低下などが存在します。また、これらは個人差が大きくなっています。さらに、多くの者が何らかの疾患を有しています。そのため、年齢だけでなく、個人の特徴に十分に注意を払うことが必要となります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「不眠の日」エスエス製薬が不眠改善の情報発信のために不(2)眠(3)の語呂合わせで制定。

「乳酸菌の日」カゴメが乳(2)酸(3)の語呂合わせで制定。

「大豆の日」ニチモウバイオティックス(東京都港区)が節分の日になることが多いことから制定。

毎月3日:「くるみパンの日」(カリフォルニアくるみ協会)、「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

東京で暮らしていた44年の間に幸いにして全国を回ることができました。それは多彩な仕事をさせてもらっていたおかげで、仕事で訪れて、後に観光で行ったところもありました。

全国各地には、それぞれの伝統的な味があり、季節によって味わえるものに違いはあるのですが、日本酒の味は地域によって季節による変化があまりないので、行った先々で日本酒を味わうのが常でした。

ホテルや有名飲食店で出される日本酒が地元の支持を受けているものとは限らないこともあって、「日本酒は一期一会」の感覚をもって、しっかりと前調べをして、これと決めた1本を飲めるようにしていました。

酒のペンクラブの会員には、各地の日本酒に詳しい方もいて、単に趣味の世界ではなくて、酒の買い付けが本業のデパートのバイヤーからは話だけでなく、実際に飲み比べをして、“今のタイミングの1本”を決めてから出かけていました。

地方の蔵元でも随分とよい日本酒が作れるようになり、地酒がブームになりました。地酒だけのつもりであったのに、地ビール、地ワイン、地ウイスキーもあって、思わぬ出会いもあり、飲み過ぎることも多々ありました。

地方に行ってみて、驚いたこともありました。最も印象的だったのは“地元では売っていない酒”があることです。

最高峰の日本酒を作り上げて、それに見合う価格をつけたら地元では売れない、買ってもらえるのは都市部だけというので、東京に戻ってから取り寄せて飲むこともありました。

そのときには、地元の食品を同時に取り寄せることができないこともあったので、東京にある地方物産館で“おかず”(つまみやアテというよりも、しっかりと食べられるもの)を入手して楽しんでいました。これは前回(日々修行156)書いた酒のペンクラブでの物産館巡りが役に立ちました。

地域の伝統料理が酒の味を決めて、酒の味が新たな料理の味を決めると言われることを身をもって体験する一つの機会となりました。日本酒だけを飲んだら、なんと甘いのか、なんと辛いのかというものも、その地域の“おかず”と一緒だと納得できることも多々ありました。

東京には東京の物産館がない(当時は埼玉県と神奈川県も)ので、東京の日本酒も極めておこうということで、取材の機会を作り、都内の蔵元で飲酒と健康の講演をさせてもらったこともありました。

そのときには、酒をすすめる酒のペンクラブと、酒を控えるように言うことが多い臨床栄養の関係者という両方の立場の使い分けが役立ったものです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

やってくるのは一人だけだと聞いていたのに、もう一人が加わると、迎える側に迷惑をかけることがあります。料理を用意していて、予定していた人数よりも一人でも増えてしまうと、準備ができていないので断るということは、伝統を重んじる老舗ではあることです。

多くの人が訪れる店で、同じ料理を出すというのなら、また作り立てを出すのでなければ、一人どころか何人が急に来ても対応できないということはありません。

ところが、同じような献立であっても、それぞれに工夫をしていて、予定した数を超えることは対応が不可能ということもあります。

そのような店で断られたとしても腹を立てるのは筋違いで、そこが伝統を重んじる地域、中でも京都では了解ごと(お約束)ということです。

そのような店でなくても、京都では「お一人ですか?」と聞かれることがあります。それは一人であったら、ちゃんと扉を閉めて入ってくれという意思表示の言葉です。

一人ではなくて複数で店に入ったときに言われるのは、「後から誰か来はりますの?」で、「これも扉を閉めろ!」という意味が込められています。
一人だと思っていたら実際は一人ではなかった、複数の客の場合は初めに入った人のほかに後から入ってくるということもあるので、「扉を閉めて」と言った直後に続いて入ってくる人がいたら気まずいことにもなります。

そういった保険というか、心づかいがある(?)言葉が、それに慣れていない人には“いけず”に感じてしまうことにもなっているのです。

「お一人ですか?」と聞かれて、実際に一人であって、ちゃんと扉も閉めたというなら、いけずの感覚で言われているわけではないと承知して、したり顔で「はい」と答えるようにしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕