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血糖値は血液中のブドウ糖の量を示す数値で、ブドウ糖が含まれる糖質が多い食品を食べると、胃で分解されてブドウ糖が血液中に多く含まれるようになります。

食品に含まれるブドウ糖の量が少ない低GI食品を摂ることによって、膵臓から分泌されるインスリンが少なくて済むようになり、太りにくくなるというのが「低インシュリンダイエット」です。

低インシュリンダイエットがヒットしたのは、2002年のことで、この時期に出版もメディア登場も相次ぎました。これが糖質制限の始まりのように思われているところもあるものの、糖質制限のダイエットは過去にもアトキンス・ダイエット、バーンスタイン・ダイエット、ケトン体ダイエットなどがありました。

アトキンス・ダイエットは1日の炭水化物の摂取量を20〜40gに制限するもので、同様なものにはケトン体ダイエットなどがあります。バーンスタイン・ダイエットは1日の炭水化物の摂取量を130gまでに制限するもので、ロカボダイエット(70〜130g)と同じ分類とされています。

糖質制限をすると、血糖値が上昇しにくくなり、血糖値に反応して分泌されるインスリンが減少して、インスリンによって肝臓で合成される脂肪酸が増えるようになります。インスリンが減るほど脂肪酸の合成量が減り、脂肪酸が結合してできる中性脂肪が減ります。

肝臓で中性脂肪が多く作られると、中性脂肪は脂肪細胞に取り込まれることになるのですが、インスリンには脂肪細胞への取り込みを促進する働きもあります。これが血糖値の上層によって太りやすくなる仕組みです。

メタボリックシンドロームに基づいた特定健診・特定保健指導が2008年に始まったときには、糖質は極端に制限するのではなく、糖質、脂質、たんぱく質のエネルギー源を全体的に少なくしていくことの重要性が訴えられるようになりました。

しかし、糖質制限のインパクトの強さから、エネルギー源の減少というと糖質制限、糖質だけ減らせばよいという間違った認識は今も続いています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

子どもの味覚は3歳までに形成されて、そのピークは3〜4歳だとされています。3歳までに食べた味が、その子どもの一生涯の味覚を作り上げると言われることがありますが、実際には10歳までの味覚の記憶が味覚の特徴を決定すると考えられています。

味覚で受けた刺激は脳に記憶され、食事をしたときの味覚の刺激は記憶に照らし合わされて、過去においしいと感じたものを食べると、安心感、幸福感を感じるようになります。

味覚は舌にある味蕾によってキャッチされています。味蕾の数は生まれたばかりの乳児には1万個以上ありますが、3〜4歳から減り始め、成人では75%ほどになり、高齢者では30%にも減っていきます。

味蕾の数からいうと乳児の味覚は非常に敏感で、母乳の味の変化にも敏感に反応しています。

母乳は血液が変化したもので、母親が食べたものの栄養成分が血液中に入り、その血液中の成分が母乳の成分に反映しています。血液には赤血球が多く含まれていて、赤血球のヘモグロビンが赤い色素なので、血液は赤くなっています。

それに対して母乳にはヘモグロビンが含まれず、光が拡散するので白い色となっています。ヘモグロビンの有無だけで、血液に含まれる成分が母乳の味となり、これを飲んで育った子どもの味覚にも大きく影響します。

甘いものを多く食べると血液中のブドウ糖が増えて血糖値が上昇します。脂肪が多く含まれるものを食べると血液中の脂肪酸や中性脂肪が増えます。この血液からできた母乳にもブドウ糖や脂肪酸が含まれて、これが味覚に影響を与えることになります。

母親がバランスのとれた食生活をしていれば、それが母乳を通じて、子どもの敏感な味覚にも影響を与えることになるということです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ホスピタリティ・デー」日本ホスピタリティ推進協会が3は新しいものを創り出すエネルギー、自己表現、2は思いやり、協力、4は全体を作り上げる基礎の数字とされることから制定。

毎月24日:「ブルボン・プチの日」(ブルボン)、「削り節の日」(東京削節類卸協同組合)

「学びの伴歩」のタイトルで連載コラムを始めるに当たって初めに考えたことは「伴歩」の読み方でした。「伴歩」の発想から書いていくと、これは伴走の走ることを「歩く」「歩み」に変えて、ゆっくりと着実に進んでいくという意味合いを持たせることでした。

「伴」の読み方は「ばん」と「はん」があります。伴侶や同伴では「はん」と読みますが、元の考えは一緒に寄り添って走る伴走からきているので、すぐに「ばん」に落ち着きました。「歩」は歩くという意味だけなら、歩行や徒歩の読み方の「ほ」でもよいかもしれないものの、ただ歩くというのでなくて、初めの一歩、進歩、独立独歩といった言葉の「歩」の言い合いもあります。

そこで伴歩は「ばんぽ」という読み方に統一することにしました。

このほかに歩合や歩留まり、歩が悪いのように歩は「ぶ」と読むことがあっても、この意味合いは特には意識していないので、初めから議論に加えることはありませんでした。

「伴」は人偏に半と書くことから、「半人前」ではないかと言われることもあるものの、「ともなう」「つれ」といった意味合いがあります。半は二つに分けられることを指していて、別れていた(半分)もの(人)が一つになることを意味するのが「伴」です。

「歩」は止と少の組み合わせとのことで、止まることを少なくするのが「歩」に込められていると説明されることがあります。これは当て付けのようなもので、旧字体では右側の「ヽ」はなかったのですが、新字体になるときに字のバランスから付けられたもので、「少」とは関係がありません。

伴歩には、一緒になって進んでいくという意味合いがあり、それを掲げて学びの活動に取り組んでいきたいという思いが込められています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

メディアの各業界と付き合ってきた身には、テレビを見るのも新聞を読むのも雑誌や書籍を読むのも、すべて仕事の範疇という時期が長く続きました。

それは還暦を過ぎてから縁も所縁(ゆかり)もない岡山に移住してからも、東京時代に比べたら一部でしかなくてもメディアとの付き合いが続いていたので、何をしていても仕事の一部という感じでした。

東京にいたときに、雑誌なり書籍なりを読んでいると、「仕事ですか勉強ですか」とよく言われました。直接的に仕事に関わってくることは「仕事」、間接的に仕事に関わってくることは「勉強」と区分けしての質問です。

このほかにも読むことは趣味や暇つぶしでもあるというのが普通の感覚かもしれませんが、趣味のつもりで読んできた時代小説で得た知識が仕事になったこともありました。それは劇映画とテレビドラマのプロデューサーの市川久夫さんと一緒に仕事をすることになったからです。

市川久夫さんは劇映画約100作品、テレビドラマ約600話の制作に携わった方で、その名前は、今でも時代劇のテロップで企画者として流れています。有名なところでは「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」「雲霧仁左衛門」「編笠十兵衛」「江戸の旋風」などがあげられます。

初めての出会いは大手広告代理店のテレビ部門の重鎮の紹介で、後に作家団体の日本文芸家クラブの会員同士として再会しました。日本文芸家クラブは、捕物作家クラブとして昭和24年に始まったこともあって、時代劇、捕物帳などの関係者も参加していました。

再会したときには私は日本文芸家クラブの理事を務めていて、好きで時代物の小説を読んでいることを話したのがきっかけで、お付き合いをすることになりました。

時代物の専門家の先生との付き合いが始まると、これまでの小説の知識、時代劇の撮影現場での経験(テレビの2時間ドラマのタイムキーパー・記録係として4作品に参加)は“薄っぺらい”ものでしかなかったと反省をしました。

市川さんの人脈、私のメディア人脈を活かして、いろいろな方に合わせてもらっていると読むべきものは増えていき、過去の時代物の劇映画とテレビ番組の映像(当時はビデオがほとんど)を見るようになりました。

時代劇には歌舞伎の要素が重要で、実際に出演者には歌舞伎役者も多いことから、誘われるまま歌舞伎の舞台も頻繁に見るようになりました。

その成果を深めるには、劇映画と時代劇ドラマも見ておく必要が出てきて、新作にも次々と目を通していくようになりました。

時代考証は重要で、その文献である江戸時代の書籍、浮世絵も手当たり次第という感覚で見て回りました。浮世絵のほうは、当時住んでいた東京・原宿に有名な浮世絵専門美術館があったので、時間があれば(場合によっては時間がなくても)足を運んでいました。

時代劇に限らず、さまざまな情報が入ってくるようになり、参画もしていきましたが、メディアの企画は生活そのものの中から生まれるだけに、待合室の雑誌も訪問した会社の資料室などの書籍も、すべて勉強になることばかりで、そのような仕事のための勉強は東京にいた時だけでなく、東京から移住して8年になる今でも続いています。

しかし、今になって急に文字情報や映像情報には距離を置くようになっています。それは情報がネット時代になったからではなくて、見たくもない情報が大波のように押し寄せてくる中、こんなものは見たくなかった、こんなことに時間を使いたくなかったというものばかりになってしまったからです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

小学1年生で漢字を学ぶときには、学んだ漢字は、すべて漢字で書くことが求められます。

それができるのが普通であるとの考えがあるからですが、発達障害の学習障害のうちの書字障害がある子どもは、読むことができても書くことができないということがあり、書けない漢字があることがプレッシャーになって、漢字を書くことが嫌いになることもあります。この嫌いという感情が、せっかくの学ぶ機会を逃してしまうことにもなります。

学んだ漢字は、単に記憶すればよいというものではなく、生活の中で活かすことが大切です。そのため、実用として使えるように漢字を組み合わせて学ぶようにします。

文部科学省の学年別漢字配当表のうち、小学1年生で学ぶ80字の中には、円、本、字、年、月、人、名といった漢数字と組み合わせて意味をなすものがあります。漢数字の一は「いち」と読み、一つであることの記号ですが、円や本、年、月と組み合わせると具体的に数えることができるものになります。

本来なら四本と書くところが、書字障害で、どちらかの漢字が書けなかった場合には、まずは漢字で書いても、ひらがなで書いてもよいというように伝えて、必ずしも感じで書くことを求めないように書字障害に対応しています。

漢字で書くことを負担に感じると、その前の聞き取りがうまくできなくなることにもなります。正確に聞き取って、そのまま書くということを習慣づけることが優先されます。それができるようになったら、ひらがなを漢字にするように、段階を踏んで学ぶようにすることです。

漢字で書けるようになっても、たまには間違えることもあります。間違えたところで指摘したい気持ちもわかります。すぐに指摘して直したほうがよい子どもがいる一方で、文章などを書き終えてから指摘したほうがよい子どももいるので、画一的な対応をすべきでないということを伝えるようにしています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

太っていることは何もよいことはない、と言われることが多い中で、一つよいことをあげるとすると、それは骨が丈夫なことです。骨は荷重がかかるとカルシウムなどのミネラルを多く取り込むようになっていきます。

骨は硬いイメージがあり、固定されたもののようにも思われがちですが、実際には毎日、壊されると同時に新たに作られています。これはカルシウムが身体の中で数多くの働きをしていることから、必要量を確保するためのことです。

カルシウムは骨や歯に必須の体内で最も多いミネラルで、体重の約2%を占めていて、そのうち約99%が骨や歯にあり、約1%が血液や筋肉中にカルシウムイオンとして溶け込んでいます。

血液凝固、筋肉収縮、神経系の調整のほか細胞内外のカルシウム濃度の調整によって細胞の機能の調整、ナトリウム排泄によって血圧調整をする作用があります。

また、腸壁を刺激して蠕動運動を盛んにして、便通を促進する作用があります。大きく不足すると骨粗鬆症や骨軟化症を引き起こします。

骨を壊しているのは破骨細胞で、修復しているのは骨芽細胞です。破骨細胞の働きはほぼ一定であるのに対して、骨芽細胞の働きは加齢によって低下していきます。破骨細胞の働きよりも骨芽細胞の働きが下回ったときが骨粗鬆症の始まりとされています。

骨芽細胞の働きは骨に荷重がかかったときに盛んになっていきますが、そのために何も太ることはありません。太っていると日常生活でも骨の荷重が強まるというだけです。最も簡単に荷重をかけるのは運動です。

特に弱まりやすいのは下半身の骨であるので、下半身の筋肉を動かして、ショックがかかる運動として、階段の上り下り、屈伸運動、早歩きなどがあげられます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「世界気象デー」世界気象機関が世界気象機関条約が1950年3月23日に発効したことにちなんで制定。

「ホットサンドを楽しむ日」国分グループ本社は「サンドイッチの日」の3月13日からサンドイッチを焼く音のジュウ(10)を足して制定。

「スジャータの日」スジャータめいらくグループが1976年3月23日に褐色の恋人スジャータを初めて販売したことから制定。

毎月23日:「乳酸菌の日」(カゴメ)、「不眠の日」(エスエス製薬)、「国産小ねぎ消費拡大の日」(小ねぎ生産県協議会)

花見といえば、今は桜を見にいくことを指していますが、江戸時代には、さまざまな花を見に行くだけでなくて、行った先で宴席を設けるのが普通のことだと伝えられています。

それは、梅や桃のような鑑賞に適した花だけでなく、菫(すみれ)や桜草といった草花も対象となり、草花であっても花見や宴席が行われていました。

その中でも桜が花見の中心となり、宴席とセットになって今に伝えられるようになったのは、桜の特性が関係しています。

このことについては、東京にいたときに日本文芸家クラブの「江戸を歩く会」でも、日本ウオーキング協会の花見ウオーキングでも定番のネタとして語られていました。

その語られていたことは、日本の代表的な桜の品種のソメイヨシノ(染井吉野)は、江戸時代末期に染井村(現在の東京都豊島区駒込3・6・7丁目)の植木屋が吉野桜として売り出したものということです。

日本固有種の大島桜(父)と江戸彼岸(母)の交配によって生まれたもので、遺伝子研究によって単一の樹を始源とする栽培品種のクローンであることが1995年に明らかにされています。

桜の基本野生種は10種類があって、これらの変種と合わせて100種類はあるとされています。このほかに品種改良による栽培品種があり、今までに600種以上の品種が確認されています。

しかし、ソメイヨシノは江戸時代末期から接木によって各地に広がり、昭和の時代に入ってからは全国(鹿児島・桜島から北海道・札幌まで)で植えられるようになりました。

桜の開花・満開を判断する標準木は全国各地のソメイヨシノで、気候に合わせて同じように花が開き、散っていくのは同じ遺伝子を持っているからであり、クローンということは同じ姿形のものを全国で、毎年見ていることになります。

桜は、その木の下の宴席がつきものですが、桜の花見といえば宴席の有無に関わらず、1人で見にいくというイメージはありません。団体で会社や団体などの行事で見にいくことは年々減っているとしても、家族や知人と少人数で観にいくことは続いています。

これからも、少なくとも1人ではなく他の人と見ることは続いていくはずです。

昨年は4〜5人で見に行ったのに今年は2〜3人で見に行ったという場合でも、数年の間を置いて見に行った場合でも、見ている桜は違っていても、その姿は年が違っても同じ姿形をしています。

正確に言うなら、気象条件によって咲き方は異なっているので、まったく同じということはないのでしょうが、以前に家族などと一緒に見た桜と同じものを、時間を経た今も見ていることになります。

また、今見ている桜を、先々に他の人と見ることにもなるだけに、人とのつながりを感じさせ、思い起こさせる機会を提供してくれるのが桜の花見ということを伝えさせてもらっています。

これは年齢を重ねて、徐々に親戚演者や友人が減っていく中で、私自身も年々強く感じるようになっていることです。それだけに新たな出会いの方々とは、一緒に桜を見る機会を増やしたいとは思っているものの、咲いてから散るまでの期間が長くはないので、思ったようにはいかないのは仕方がないことです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

漢字は小学1年生から学ぶものとなっています。入学前までには自分の名前を漢字で書けるようにしよう、それができない場合でも自分の名前の漢字は読めるようにしよう、ということは入学前に期待されることがあります。

小学1年生で学ぶ漢字の中に名字が含まれる場合には、名前も同じように小学1年生で学ぶ中から選んだということは以前にはあったようですが、キラキラネームの時代には、そんな親の思いも通じなくなっているようです。

発達の凸凹があって、学習の習得に差があったとしても漢字だけは小学1年生からスタートするので、遅れずに進める機会は保証されていることになります。

しかし、漢字の書字障害はスタート時点から起こっていて、それが子どものプレッシャーを、さらに高めることにつながっているのは事実です。

なぜ、そのようなことが起こるのかというと、漢字の教育が画数の少ない文字から始めて、だんだんと画数が多い感じに移っていくことを基本としているからです。小学1年生で学ぶ漢字は、文部科学省の学年別漢字配当表では以下の80字になっています。

「一 右 雨 円 王 音 下 火 花 貝 学 気 九 休 玉 金 空 月 犬 見 五 口 校 左 三 山 子 四 糸 字 耳 七 車 手 十 出 女 小 上 森 人 水 正 生 青 夕 石 赤 千 川 先 早 草 足 村 大 男 竹 中 虫 町 天 田 土 二 日 入 年 白 八 百 文 木 本 名 目 立 力 林 六」

この順番は、学ぶ順ではなくて、読み順(あいうえお順)です。この学年別漢字配当表を張り出して覚えるように促している学校もあります。これを画数から「一 二 三」というように始めて、十までの漢数字を覚えるところから始めるわけですが、三までは画数が増えるだけでよいのに四以降になると画数と漢字が一致していません。ここが初めの混乱の元となります。

右と左、色(金、青、赤、白)という生活でよく使われる漢字は関係づけて覚えるようにします。それと同じように、他の漢字も関連づけて教えることが大切になってきます。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕