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「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から脂溶性ビタミンのビタミンDの欠乏回避の「目安量の策定方法」を紹介します。

〔目安量の策定方法〕
*成人(目安量)
血中25−ヒドロキシビタミンD濃度が12ng/mL未満では、くる病(小児)・骨軟化症(成人)のリスク増大、カルシウム吸収率低下(小児・成人)、骨量の低下(小児・若年者)、骨折リスク増加(高齢者)が起こることが知られています。

そして、20ng/mL以上で、これらのリスクが最も低くなるとされています。

また、アジア人に限定した研究において、血中副甲状腺ホルモン濃度の上昇の抑制、骨密度の維持に対する血中25−ヒドロキシビタミンD濃度が20ng/mL以上とする報告が複数あります。

一方、日本内分泌学会・日本骨代謝学会によって発表された「ビタミンD不足・欠乏の判定指針」では、30ng/mL以上をビタミンD充足、20ng/mL以上30ng/mL未満をビタミンD不足、20ng/mL未満をビタミンD欠乏としています。

この参照値を用いて欠乏者、不足者の割合を計算すると、日本人の健診受診者(成人男女:18〜69歳、1790名)では、それぞれ40.8%、51.5%、他の健診受診者(成人男女:平均51歳、5518名)で、それぞれ78.5%、19.8%となります。

これらの報告を踏まえると、食事摂取基準の参照値として30ng/mLを採用するのには、慎重になるべきと考えられ、血中25−ヒドロキシビタミンD濃度の参照値を20ng/mLとすることが妥当であるとしました。

ただし、この値のほとんどの者で不足による症状が現れない値であるために、推定平均必要量の算定に用いるのは適切ではありません。そこで、目安量を設定することとしました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から脂溶性ビタミンのビタミンDの欠乏回避の「必要量を決めるために考慮すべき事項」を紹介します。

〔必要量を決めるために考慮すべき事項〕
欠乏症として、小児ではくる病、成人では骨軟化症があげられます。

軽度の不足では、骨粗鬆症と骨折リスクの増大に関連する血中副甲状腺ホルモン濃度の上昇がみられます。

血中25−ヒドロキシビタミンDは食事からの供給と皮膚への紫外線照射によって産生された体内のビタミンD量を反映するビタミンD栄養状態の最も良い指標です。

また、血中副甲状腺ホルモン濃度は骨代謝との関連が確立されており、血中副甲状腺ホルモン濃度の上昇は、ビタミンDの欠乏を示す指標として有用です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「冷凍食品の日」日本冷凍食品協会が、冷凍のトウ(10)から10月、冷凍食品の世界共通の管理温度がマイナス18℃以下であることから制定。

「ドライバーの日」物流産業新聞社が、交通や流通などで活躍するプロドライバーに感謝することを目的としてド(10)ライバ(18)ーの語呂合わせで制定。

「世界ウェーブストレッチリングの日」日本ウェーブストレッチ協会が、ウェーブストレッチリングが発売された2005年10月18日にちなんで制定。

「ぴーなっつ最中の日」米屋(千葉県成田市)が、ぴーなっつ最中の発売開始の10月と、101が餡を挟んだ最中の形、8が落花生の形に似ていることから制定。

「天津飯の日」大阪王将が、てん(10)しん(1)はん(8)の語呂合わせで制定。

毎月18日:「防犯の日」(セコム)、「おにぎりの日」(中能登町)、「頭髪の日」(全国理容生活衛生同業組合連合会)

1000曲以上を作曲した米山正夫先生が作曲家デビューをしたのは1934年だったということを話すと、戦時中の軍歌も作ったのではないかと言われることがあります。

「兵隊の靴」というお題のコラムを書いているので、なおさら、そのような想像をさせるかもしれませんが、戦時中(1942年)に書いた楽曲が“敵性的”ということで発売4日での発禁処分という「記録を作った」(本人談)という逸話が残されています、

1944年に満州の放送局勤務となり、1945年に関東軍に現地応召(召集令状を受けての軍務)されて、敗戦と同時にシベリア抑留となっています。

米山先生と巡り会えたのは2ルートあって、1つは水島治男先生のルートでした。水島先生は「改造」という雑誌の編集長を務めた方で、日本ペンクラブの事務局長もされました。

水島先生の御自宅は文京区白山にあって、私が通っていた東洋大学(何かと話題になった法学部)も白山にありました。知人の紹介で御自宅に顔を出すようになり、『改造社の時代』(戦前編、戦中編)の2冊の書籍の手伝いをさせてもらいました。

1977年に水島先生は逝去されましたが、そのときに関係者から私は“最後の弟子”と紹介されました。私自身としては、そのような感覚はなかったのですが、このフレーズが役立ったのか、米山正夫先生を初めて訪ねたときに「君が水島先生の最後の弟子か」と言われました。

仲介してくれた方が、私が新潟県柏崎市の出身で、地域には米山(よねやま)という1000mに少し足りない名峰があって、米山登山は高校の年中行事でした。紹介者には米山の話をしたことがあり、私の名前(正人)を正夫と勘違いしていて、そのことが縁のようなものを感じて、米山先生に「兵隊の靴」という題のコラム原稿を書いてもらうきっかけとなりました。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

2002年から始まった納豆の全国PRは、今でも全国納豆協同組合連合会と納豆PRセンターによって続けられています。その初めの全国PRを手掛けて、「メディア(テレビ、新聞、雑誌)で納豆が取り上げられない日はない」とまで言われて、納豆ブームとしても今も伝えられています。

納豆がブームにまでなったのは私たちのおかげと言われて、メディアにも持ち上げられましたが、納豆が大注目されて、売り上げが前年比で10%以上も増えたのは、もう一つの要因がありました。

それまで売り上げが減り続けていたのが、マーケティングとPR法を変えただけで、急にV字回復するようなことはありません。何がプラスに働いたのかというと、それは狂牛病でした。

狂牛病は1986年にイギリスで初めて発生が確認されて、日本で感染牛が初めて見つかったのは2001年のことでした。その翌年に納豆の業界をあげての全国PRが始まったのは、このタイミングを活かそうとしたからではありません。

たまたまタイミングが重なっただけですが、ある意味のチャンスと考えて、納豆の材料の大豆のたんぱく質の有効性を強調したこと、牛肉に特に多い飽和脂肪酸との違い(大豆には不飽和脂肪酸が多くて動脈硬化を低下させるというエビデンスがあった)を毎回、メディア向けのリリースに入れることはしました。

当時は海外から輸入される食品の安全性は狂牛病をきっかけにして、消費者が強く気にしていることでした。国産大豆を売り物にしている会社はあるものの、業界をあげての全国PRとなると輸入大豆と国産大豆の割合は知っていました。

納豆がブームになれば、国産大豆の割合が下がっていくのは仕方がないのですが、納豆に使われている大豆の味方をすると、全体の自給率(国内生産)は6〜7%であるのに対して、食品加工用の自給率は20〜25%となっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

鬼は怖いものの象徴とされることから、鬼が現れて平和な状態を掻き乱すことは「鬼の撹乱」と表現されることがあります。言い間違いというよりも、書き間違いの例ではあります。

撹乱(かくらん)の掻き乱すという意味は、小さな出来事ではなくて、生態系や環境を見出す出来事のことを指していて、脅威となる自然現象(地震、火山噴火、台風、豪雨など)によって生命の危機につながる状態を表すときに使われます。

鬼が現れたかのような悲惨な状況ということなのでしょうが、「鬼の撹乱」は明らかな誤用です。正しい使い方は「鬼の霍乱」で、霍乱(かくらん)は平安時代から使われてきた医学用語(漢方医学)で、夏に起こりやすい体調不良を指しています。

現代的にいえば、日射病や胃腸炎のことで、吐き気や下痢を伴う急性の病気です。そこから暑さにあたって体調を崩すことを指すようになりました。

「鬼の霍乱」は、病気とは無縁な元気な人が病気になってしまうことですが、今では、ちょっとした不注意で病気になるという軽い意味で使われることが多くなっています。

「鬼の霍乱」の“鬼”は悪いものではなくて、強い者という、よい意味での象徴として使われています。「鬼の霍乱」を起こすような立派な人であることがポイントで、その意味合いが伝わらないと、せっかくの正しい言葉が活かされないことにもなります。

間違った使い方の中には、「鬼の錯乱」というものもあります。錯乱(さくらん)は意識が混乱することで、鬼が錯乱状態になったら、それこそ怖い状況になってしまいます。どんな立派な人でも、錯乱をしては本来の力が発揮できなくなるので、「鬼の錯乱」とならないように、「鬼の霍乱」の段階で、もしくは霍乱にもならないように、日常生活で注意することが大切という話をさせてもらっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から脂溶性ビタミンのビタミンDの指標設定の基本的考え方を紹介します。

〔指標設定の基本的考え方〕
ビタミンDが欠乏すると、小腸や腎臓でのカルシウムとリンの吸収率が減少して、石灰化障害(小児ではくる病、成人では骨軟化症)が惹起されます。

一方、軽度の不足であっても、腸管からカルシウム吸収の低下と腎臓でのカルシウム再吸収が低下して、低カルシウム血症が生じます。
これに伴って二次性副甲状腺機能亢進性が惹起され、骨吸収が亢進して、骨粗鬆症と骨折へと至ります。

ビタミンDは食事から摂取するだけでなく、皮膚でも産生され、両者がビタミンDとして体内で利用されるため、摂取すべきビタミンDの量を皮膚での産生量と独立して決めることは困難であり、またその意味も乏しくなっています。

また、過剰摂取による健康被害として、高カルシウム血症を対象に耐容上限量を設定しました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から脂溶性ビタミンのビタミンDの基本的事項の「機能」と「消化、吸収、代謝」を紹介します。

〔機能〕
ビタミンDの主な作用は、ビタミンD依存性たんぱく質の働きを介して、腸管でのカルシウムとリンの吸収と腎臓での再吸収を促進することです。

その他の機能として、骨髄(骨芽細胞やリンパ球など)、免疫系に属する細胞、皮膚、乳房や前立腺の上皮細胞、筋肉、腸などの様々な細胞における分化促進や増殖抑制作用があげられます。

〔消化、吸収、代謝〕
ビタミンDは、肝臓で25−ヒドロキシビタミンDに代謝され、続いて腎臓で活性型である1α,25−ジヒドロキシビタミンDに代謝されます。
1α,25−ジヒドロキシビタミンDは、標的細胞の核内に存在するビタミンD受容体と結合して、遺伝子の転写制御を行います。

血中の25−ヒドロキシビタミンD濃度は、摂取と皮膚での産生の双方の体内のビタミンD量を反映することから、ビタミンDの生体指標とされています。

一方、1α,25−ジヒドロキシビタミンDは、健康な人で、その血中濃度は常に一定に維持されており、ビタミンDが欠乏すると、血中のカルシウムイオン濃度が低下して、その結果として、血中副甲状腺ホルモン濃度が上昇します。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「秦野名水の日」秦野名水ロータリークラブ(神奈川県秦野市)が、設立日の1987年10月17日にちなんで制定。

毎月17日:「減塩の日」(日本高血圧学会)、「いなりの日」(みすずコーポレーション)、「国産なす消費拡大の日」(冬春なす主産県協議会)、「森のたまごの日」(イセ食品)

「兵隊の靴」という言葉を金言の一つとして示してくれた米山正夫先生についての情報は、今の時代は簡単に検索できるので、関わりがあることだけを書いておくことにします。

作曲家として1000曲以上を世に送り出して、その一部は作詞も手がけています。

米山先生は1912年に東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町穏田で生まれました。今の住所でいえば東京都渋谷区神宮前ですが、いわゆる原宿の中心部です。

穏田(おんでん)というと葛飾北斎の冨富嶽三十六景の一図の「隠田の水車」に描かれた場所で、青山の台地からの水が穏田川(現在の渋谷川で今は暗渠)に流れる込む手前にありました。

私が米山先生に出会ったのは1981年のことで、その時は私は26歳でした。

そして、1985年に私が30歳のときに逝去されたので、短い間の付き合いだったのですが、頻繁に会っていました。

というのは、私は1982年から縁があって原宿に住むことになり、私が住んでいたところと米山先生の生家が極めて近かったことから、地域の昔話から音楽業界についても相当に教えてもらいました。

これが後に私が音楽業界と関わることになったきっかけではないものの、業界に足を突っ込むようになってからは、役立つ話ばかりを得ることができました。

米山先生は父親のすすめで音楽の世界に入ったのですが、その父親の米山正さんは東京蓄音機を設立したレコード業界の先駆けともいえる方です。

米山先生が亡くなり、その葬儀のときに、最も印象に残ったのは美空ひばりが弔辞を読んだことでした。それは「リンゴ追分」の作曲家だった関係でした。また、水前寺清子が参列していたのは「三百六十五歩のマーチ」の作曲家だったからです。

「兵隊の靴」ではないのですが、このときの「三百六十五歩のマーチ」の“休まないで歩け”が後のウォーキングに結びついたのは、20年後のことでした。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕