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全国キー局のテレビ番組の“今日は何の日”のコーナーに記念日の情報を定期的に提供するようになったのは1990年のことでした。翌年にはバブル崩壊が始まるのですが、まだ景気がよい状態は続いていて、食品業界も売り上げを伸ばす機会として注目していました。

バブル崩壊後も、食品業界は生き残りのためのテレビ番組の活用には強い関心があり、食品業界から連絡が入るようになりました。

記念日は番組のコーナーのテーマでしたが、食品業界とメディアを結ぶ複数の広告代理店からアプローチがあり、食品業界の記念日が番組コーナーの中心になっていきました。

平日の昼の番組であったことから、“今日は何の日”は他局も気になっていたようですが、同じ形ではできないということで、他の切り口を求められることが多くなりました。

季節の食材に合わせた健康関連の番組を制作して、その切り口の一つとして記念日を導入部に使うということで、健康関連の番組で取り上げる食品の裏付け資料の提供、コメントする専門の紹介なども始まりました。

健康番組は食品がメインに扱われてきていましたが、1991年から傾向が変わり始めました。この年に厚生労働省の特定保健用食品(トクホ)の制度が始まって、食品に含まれる機能性成分が注目されるようになり、番組でも食品と成分の情報が中心となっていきました。

これまで健康番組に出演して解説をするのは医師、管理栄養士が中心だったのが、薬学の専門家(薬学博士、薬剤師)が登場して成分の説明、健康効果の説明をするようになりました。

中でも人気が高く、すべてのキー局に出演していたのは薬学博士の久郷晴彦先生でした。久郷先生は大手乳業メーカーの研究所の出身ではあっても、食品会社の代弁者ではなく、独自の切り口での解説が特徴的でした。

その裏方の役割をしていたのは、テレビ番組や雑誌の健康担当者を会員とした健康ペンクラブで、久郷先生は健康ペンクラブの初代会長でした。その情報量と正確さ、視聴者の要望も熟知していたこともあり、各全国キー局が健康番組をスタートさせていく中、先生の登場も増えていきました。

私は健康ペンクラブを栄養の関係者と立ち上げた張本人であったことから、まるで修行のように情報収集、情報分析、情報発信を進めてきました。久郷先生が、私の義理の父親であったということだけが、頑張ってきた理由ではありません。

1995年にはNHKの「ためしてガッテン」が、1996年にはフジテレビ系の「発掘!あるある大辞典」が始まり、すべての全国キー局が競うようにして情報発信を繰り返していきました。

それと同時に健康番組の制作スタッフとの交流が盛んになり、記念日を切り口にした番組も同時に増やすことができました。メディア関係者とは、岡山に移住した今でも週に1回は情報交流を続けています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

腸内細菌は善玉菌、悪玉菌、日和見菌に大きく分けられます。善玉菌と悪玉菌は比較的理解しやすいのに対して、日和見菌の役割は案外と知られていないところがあります。日和見は、有利なほうにつこう(味方しよう)とすることを指している用語で、形勢をうかがうことを意味しています。

その用語そのままの働きをするのが日和見菌で、腸内環境によって働きが変わってくることが知られています。

そのような説明をされることが多いことから、善玉菌が増えて酸性度が高い環境になると、日和見菌も善玉菌の働きをするようになり、悪玉菌が減るために善玉菌が優位になると考えられています。

それとは逆に、悪玉菌が増えてアルカリ性傾向の環境になると、日和見菌も悪玉菌の役割をするようになり、善玉菌が減るので悪玉菌が優位になっていくと考えられています。この働きのほうが、実際にはよく見られることです。

日和見菌は腸内環境が健康な状態のときには大人しくしていますが、悪玉菌が増えて腸内環境が悪化したときには、腸内で悪玉菌のような働きをして、日和見菌感染症を起こすこともあります。

日和見菌の種類としては、バクテロイデス、無毒株の大腸菌、連鎖球菌などがあります。これらの菌によって健康被害が起こったとすると、それは腸内環境が悪化していることが考えられます。

腸内環境がよい状態では、「善玉菌2:悪玉菌1:日和見菌7」の割合とされています。日和見菌が70%を占めるということは、悪玉菌が優勢になると日和見菌が悪玉菌の役割をするようになり、ほとんどが悪玉菌というような状態になるため、善玉菌を増やすことが重要になります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

1日に1万歩を歩くのが健康によいという話から、今では8000歩が定説的に語られるようになっています。

1万歩が言われ出したのは“万歩運動”が始まった1964年のことで、その年には東京オリンピックが開催されました。オリンピックを機会に国民的に健康志向が高まったことからウォーキングが盛んに行われるようになり、目標値として掲げられたのが1日に1万歩でした。

その当時の日本人の平均歩数は7000歩ほどでしたが、高度経済成長が始まってから10年が経過して、運動不足と食べ過ぎによって、1日のエネルギーバランスの差が300kcalになっていました。

その当時は生活習慣病が増えているといっても今ほど患者は多くはなくて、食事を減らすのではなく、運動量を増やすことが求められ、歩く距離を増やすことが進められました。

1000歩が100kcalに相当すると大雑把に計算して、300kcalを消費するために3000歩を増やし、合計で1万歩という目標が示されました。

1日に1万歩を歩くためには自分の歩数を知ることが必要ということで、“万歩計”が人気となりました。万歩計は山佐時計計器の商標で、それ以外の会社のものは“歩数計”と呼ばれています。

1日1万歩が推奨される時代は長らく続きましたが、それが見直されるきっかけになったのは2000年から始まった中之条研究の成果が発表されてからです。

これは群馬県中之条町に住む65歳以上の住民約5000人を対象にして、1日の歩数と病気の関係を15年以上にわたって調査した研究です。その結果として発表されたのが「1日に8000歩、そのうち中強度の早歩きを20分」が最も健康度が高いという結果でした。また、医療費削減効果があることも発表されました。

この結果が“独り歩き”する形で、誰もが8000歩を目標にしたほうがよいというようなことが広まっていきました。しかし、これは75歳以上の場合で、75歳未満では1日に1万歩、そのうち早歩きは30分に健康効果が高めることが報告されています。

歩数を稼ごうとしたら、歩幅を狭くして足の回転数を増やせばよいわけですが、理想的な歩行は「大股で勢いよく」が大原則です。歩数と距離と同時に、どんな歩き方をした結果なのかということも重要になります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「登録販売者の日」日本チェーンドラッグストア協会が登(10)録(6)の語呂合わせで制定。

「メディカルスパトロンの日」入浴施設メディカル(医療)スパ(温泉)トロン(放射性元素)を運営するヘルシーピープル(東京都北区)がト(10)ロ(6)ンの語呂合わせで制定。

「どろソースの日」オリバーソース(兵庫県神戸市)が、ど(10)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「でん六の日」でん六(山形県山形市)が、でん=テン(10)六(6)の語呂合わせで制定。

「明治北海道十勝カマンベールの日」明治が、と(10)ろ(6)りの語呂合わせで制定。

「ドムドムハンバーガーの日」ドムドムフードサービスがド(10)ム(6)の語呂合わせで制定。

毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)

記念日がブームになるきっかけとなったのは「サラダ記念日」とされています。歌人・俵万智の第一歌集(1987年発行)で、280万部の大ベストセラーを記録しました。

『「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日』

その前にも記念日はメディアにも取り上げられていましたが、特定の1日を記念する日(建国記念日など)が多く、今のようなキャンペーンやイベント的な要素の記念日ではありませんでした。

記念日は英語では「anniversary」(1年経過したことをお祝いする日)と「memorial day」(特定の1日を記念する日)とがありますが、ここで取り上げているのは「memorial day」のほうです。その「memorial day」も、こどもの日や建国記念日といった官制ではなく、民間が立ち上げたものです。

といっても、初めのうちは記念日を産業の振興に役立てる戦略として、農林水産省と全中(全国農業協同組合中央会)が各業界に呼びかけ、農産物に関する記念日を制定して、キャンペーンに役立てるということからのスタートでした。

1987年というと、私は病院栄養管理HDS研究所の主任研究員となり、全国病院調理師協会事務局次長を兼任して、機関誌『病院調理』の編集長として食品業界の取材を始めた年です。また、日本臨床栄養協会の会報誌『New Diet Therapy』の編集も担当して、取材も併せて行っていました。

その関係で農林水産省の記念日の広報活動を知り、同時期に全中の広報部からも記念日を用いた広報について聞きました。当時の広報部長は、幼少時代に住んでいたところの隣同士の関係(隣の家のお兄ちゃん)で、長く付き合ってきた方でした。

記念日に合わせて食品の記事を掲載する中で、大手広告代理店の食品担当と知り合い、広告戦略の一つとして記念日を活用する企画に参加して、365日の記念日リストを作成しました。

これは記念日のない日を埋めるように新たな記念日を考え、関連業界の広報活動として提案するものでした。当時は365日のうち100日ほどしか埋まっていなくて、食品に関わるものは50日ほどでした。

その広告代理店のテレビ担当の局長と仕事を通じて知り合っていたことから、広告代理店を通じてテレビ局のディレクターに伝わり、番組のコーナー企画として採用されました。それは1987年から始まった日本テレビ系の昼の帯番組の「午後は◯◯おもいッきりテレビ」でした。

“今日は何の日”の名称で、健康関連の情報が中心となる中で、食品に関わる記念日が増えていた時期です。

修行として考えると、記念日に関わる仕事は、とにかく365日(実際は閏年の2月29日も含めて366日)を埋めることでした。業界の発祥や関係者の誕生日などはテレビネタとしてはあまり人気がなくて、関心が抱かれるのは語呂合わせでした。

後に私が関わることになった納豆の日(7月10日)、豆腐の日(10月2日)、豆乳の日(10月12日)は、語呂合わせの最たるものとして、3つをセットで取り上げてもらうようにテレビ業界を駆け巡ったのは2002年からの6年間でした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

2000年問題のときには、2000年が1900年と誤った認識をされることになるのを心配して、今まで膨大な金と時間をかけて構築してきたデジタル社会への対処が必要になりました。

一つは、見直しをすることで、基本的なデータまで探ってシステム障害が起こらないようにすること、システム障害が起こっても対応できるような状態にしていくことでした。もう一つの方法は、古いシステムで使われたものを廃棄することでした。

これは噂話レベルの認識とされることではあるのですが、NATOが巡航ミサイルでユーゴスラビアを空爆して、古いシステムのミサイルを使い果たして終わりにしたというような状況を指しています。

今回のお題のスマホ(スマートフォン)が日本で登場したのは2000年問題が終了してからのことで、2008年にiPhoneの販売が始まり、2009年にAndroidが登場しました。海外では1994年からスマホは始まっていましたが、日本の携帯電話はガラパゴス携帯(ガラケー)と呼ばれるほど多機能化が進んでいたことから、スマホの普及は2000年問題がクリアされた後になりました。

スマホでシステム障害が起こることはほとんど考えられていなくて、不具合が起こるとしたら通信会社のシステム障害だけだと言われ、実際に通信会社による障害のためにスマホが使えなくなるということが起こっています。

通信会社のシステム障害は、データ更新時のミス(と報告されること)が多くて、各社によって原因が異なっていることから、安心できる会社と契約すれば大丈夫という考えが一般にはされています。複数のスマホを持つ場合には、別の通信会社と契約するという人も少なくありません。

しかし、2000年問題とは根本的に異なる「昭和100年問題」では、複数の通信会社でシステム障害が起こって通じなくなること、通じたとしてもスマホを通じたサービス(決済機能など)が使えなくなるといったことが起こることが懸念されています。

このような、まるでスマホがなかった時代に戻ることは誰しも想像ができないことだけに、昭和100年まで、あとわずかという今、必死になって対応とバックアップに取り組まれていることは、多くの人に気づかれていないことです。

なにしろ、昭和100年問題すらあまり報道されていないのですから。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達のためには、運動、生活リズム改善、睡眠、休養などが実施されますが、これらと並んで食事と栄養も重要となります。発達障害に限らず、子どもの脳と身体の成長のためには、必要な栄養素を確保することが第一条件となっています。

しかし、栄養バランスの取れた料理を出して、それをすべて食べていれば健康が保たれて、成長に必要な栄養素が吸収されて、体内に蓄積されるというわけではありません。

1日に必要な栄養素が含まれている食事をしても、1日に3食を食べるのと、1食を抜いて2食だった場合では、吸収も蓄積も異なってきます。人間の身体は歴史的に1日に3食を食べてきたことから、3食を食べて補給できるようになっています。ヨーロッパでは朝食と夕食に多くの種類と量を食べて、昼食は軽く済ますのが基本になっています。

日本では今でこそ朝食、昼食、夕食の3食を食べるのが当たり前とされていますが、日本人の庶民が昼食を食べるようになったのは江戸時代の中期からです。それまでは日が昇って起床をして少し仕事をしたあとに朝食を食べ、日が沈む前後に夕食を食べていました。

武士や貴族は昼食も食べていたものの、庶民は夕食までに空腹を感じたときには少しだけお腹に入れるというのが普通の食事習慣でした。

1日に必要な栄養摂取量は「日本人の食事摂取基準」(2020年版)の中に、年代や男女別に掲載されていますが、そこに書かれている量が含まれた食品を食べていればよいというわけではないのです。

もちろん必要な栄養素を確保するのが最低限の条件とはなるわけですが、それに加えて、どんなタイミングで、どのように食べるのかも重要になります。また、食事と運動、食事と休養のタイミングによっても消化、吸収、代謝、蓄積などが変化してきます。

また、噛み方、飲み込み方なども消化や吸収に影響を与えます。こういったことも考慮して、食べ方を考え、それを子どもに対して指導することも脳と身体の成長を促進させるためには重要となるのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「レモンの日」詩人・高村光太郎の詩集「智恵子抄」のレモン哀歌、妻・智恵子の命日にちなんで制定。

「みそおでんの日」ヨコオデイリーフーズ(群馬県甘楽町)が田楽みそおでんにみそだれをつけて販売した1994年10月5日にちなんで制定。

「カナダ・メープルの日」ケベック・メープルシロップ生産者協会がカナダ産のメープルシロップの普及のためにメープルの葉が赤く色づく10月と葉が人の手で数字の5を示す形に似ていることから制定。

毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

2011年3月11日の東日本大震災は、多くの人の生活と、その後の生き方にも大きな影響を与えました。私も影響を受けた一人で、私が力を注いできたテレビ番組(全国キー局)の健康関連の情報が大きく変わるきっかけとなりました。

テレビ業界ではNHKを除くと、スポンサー企業(番組提供)への配慮があり、番組内で伝える内容も、どうしてもスポンサー寄りになりがちです。少なくともライバル企業を利するような情報は出すことはできません。

スポンサーが関わる業界の情報を出す場合も、そのスポンサーが業界トップのシェアがあることが条件とされていて、例えばココアのポリフェノールの抗酸化作用が健康によいという情報は、ココアの売り上げが最も多い会社が提供しているときだけに許されていました。

それ以外ではタイアップ企画としてスポンサー企業以外の情報を出すこともありました。これはスポンサーの顔色だけを見ていたら番組として面白くなくなり、幅広い情報を提供することがメディアの役割であることから、“幅を広げる活動”として当たり前に行われてきました。

それが急になくなり、スポンサー企業(番組の提供企業とスポット広告企業)を気づかった番組が急に増えてきました。その代表的なものが工場見学で、食品の製造過程を見せる番組です。

商品の販売数や注目度(?)ランキングも急に増えてきて、クイズ番組の問題や解答も商品やサービスが取り上げられるようになりました。こういった情報発信にスポンサー料以外の追加料金が加えられるようになって、“小銭稼ぎ”番組が次々に登場してきました。

私のテレビ番組と関わりは昼の情報番組のコーナーの「今日は何の日」から始まりました。食品と健康に関わる記念日は、大手広告代理店の紹介で、記念日の取材をして、時には業界と一緒に記念日を作り上げて、情報としての記事の提供を行ってきました。

このようなことをしていたときには、テレビ業界は修行の場ではなく、自分にとっては楽しい場所であったのですが、3.11以降は急に厳しい修行の場になってしまいました。

それは情報の正確さ、社会的意義、話題性よりもスポンサーの顔色を伺うような内容が優先されて、それでも正しい情報を正しく伝えようとする姿勢を貫くのは大変な苦労があり、多くのことを学ばせてもらいました。

今年4月に全日本ミニマリスト協会の理事になりましたが、そのきっかけはミニマリズムの普及と同時に、代表理事が防災の専門家であるということも大きかったようです。

これまで考え、手掛けてきた健康関連の情報は災害の発生によって、いつなくなるかわからない、いつ大きく変化するかわからないという状況を経験してきただけに、防災の感覚を持って考えを進めていこうと思ったことも影響しています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

今回のお題の「国民的な体質は急には変わらない」は、その後に「はず」とつけるのが正しいのかもしれません。日本人は冷えやすい体質であることは、ずっと以前から言われてきたことで、中国の明の時代(日本では室町時代)の文献にも、身体が冷えやすいことを示す記録が残されています。

その理由までは書かれていないのですが、身体が冷えやすいのは科学的に説明すると血流の低さ(悪さ)が大きく関わっています。血液の温度は環境などの影響を受けることはあるものの、一定の地域に暮らす一定の人は、ほぼ同じ範囲の温度となっています。

日本人の場合は、歴史的なところは残念ながら記録には残されていないので(体温計が発明されるまでは計りようがなかった)知ることはできないのですが、今の平均的な血液温度は36.5〜37℃です。

この温かな血液が素早く巡っていれば、全身の温度を高めることができるわけです。ところが、血液の流れがよくないと皮膚からの放熱に血液による熱の補充が間に合わなくなり、冷えを感じるようになります。

冷え性だからといって、血液の温度が低いわけではないのです。冷えやすいのは手足の先が多いのは、末端であるために血液が届きにくいことがあり、脂肪が少ない部位なので保温しにくくなっているからです。

日本は長い歴史の中で、温暖な気候の時代が長かったことから、体温を大きく温める必要がなく、体温を上昇させるために効果がある脂肪を多く摂ってこなかったことがあげられます。

終戦後(80年前)に比べると、肉食の量は今では6倍にもなっていることが報告されていますが、100年や200年で熱を多く発生させるという体質が変化することはありません。そのために日本人は脂肪を多く摂ると血液がドロドロになりやすく、動脈硬化のリスクも高くなっています。

脂肪によって身体が温まり、しかも血管の健康が保たれるという体質になるためには、500年から1000年は必要だと考えられています。

ただし、このことは古くから日本で暮らす人たちの子孫に当てはまることで、海外の人との間で生まれた子ども、その子孫には通じにくいところもあります。このことについては、徐々に明らかにしていくこととします。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕