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私が代表を務める特定非営利活動法人(NPO法人)セカンドステージ連盟は、働く人が自分らしさを発揮して活躍できるセカンド(second)ステージ(stage)の創出と運営を目指した活動を進めています。

と言っても、実際の居場所を建物として造るわけでも、店舗などとして使用できる場所を借りるわけでもありません。こういった居場所を作るのは私たちの役割ではなくて、そういった居場所を必要とする人たちのために、どのように開設・運営をすればよいのかをアドバイスすることが第一義と考えています。

第二義は何かというと、第3の居場所を第4の居場所とするようにサポートすることです。それは具体的なスペースとしての居場所の場合もあれば、バーチャル空間の居場所もあります。バーチャル空間というのは、仮想空間と訳されることもあるのですが、私たちが考えるのはインターネット上に構築された3次元のメタバースではなくて、現実世界の“場所のない居場所”です。

一般的にはバーチャル空間は、コンピュータシステムによってユーザーが回遊できる“サイバースペース”を指しています。これは第3の居場所(3rdプレイス)と考えています。

これに対して“場所のない居場所”は第4の居場所(4thプレイス)で、例えば個人が集まって一つの団体の会員となって活動している◯◯クラブ、◯◯協会がイメージしやすいかもしれません。

コロナ禍の中にあって、社員は自宅にいて、会社での仕事をこなしているリモートワークは、第1の居場所の家庭にいて第2の居場所の会社を同時に体験しているようなものです。第1の居場所にいながらにして、アクセス先を変えるだけで第3の居場所とつながることができることから、第4の居場所へのアクセスも容易になりました。

ここでいう第4の居場所は、新たな舞台を指していて、ここで新たな役割が生じます。その役割として、私たちは団体活動の中でも資格認定講習を行い、その資格によって得た知識などを活かしながら世の中の役になっていく“新たな居場所づくり”を目指した活動に取り組んでいきます。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

「いわしの日」大阪おさかな健康食品協議会が、い(1)わ(0)し(4)の語呂合わせで制定。

「徒歩の日」徒歩を楽しむ会(宮崎県宮崎市)が徒(10)歩(4)の語呂合わせで制定。

「糖質ゼロの日」月桂冠が糖質ゼロの日本酒の普及のために糖(10)質(4)の語呂合わせで制定。

「ロールキャベツの日」ヤマガタ食品(静岡県沼津市)が1893年10月4日の日刊時事新報にロールキャベツの原型のキャベーヂ巻きが紹介されたことにちなんで制定。

「ジューCの日」カバヤ食品(岡山県岡山市)が清涼菓子ジューCの普及でジュー(10)C(4)の語呂合わせで制定。

毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

2007年の新潟県中越沖地震は実家のある柏崎市が最大の被害を受け、震災後に必ずと言っていいほど実家の前でテレビの中継があったので、毎日、朝昼晩と安否を確認することができました。それは実家が市の中心街で最も被害を受けた建物だったからです。

たまたま弟が地元の損害保険会社の社長で、的確な保険をかけていたので、震災前の状態に戻すことはできました。損害保険の調査で、会社は歩いて3分のところにあるのに、弟は10日も家に戻れなかったという状況でした。

地震の被災地に送られてくる物品はありがたいものではあっても、それが住民の作業を増やし、かえって大変な思いをさせることは、話としては知っていましたが、家族・親戚を含めて知っている人の実際の話を聞いて、今さらながら確認したところがありました。

被災地の支援は、できるだけ長く続いてほしいところですが、次に大きな地震が起こると、そちらに関心が移って、忘れ去られることがあるのは柏崎市でも同じことがありました。そのきっかけとなったのは2011年3月11日の東日本大震災です。

柏崎市には柏崎刈羽原子力発電所があっても実際の被害は起こらなかったのですが、東日本大震災では福島第一原子力発電所の大規模被害があり、そちらに関心も支援も完全にシフトされた感覚です。

そんな中で、「私たちは忘れていない」を合言葉に、震災被災地の支援を続けているグループがあり、その方々とは以前から付き合いがあったことから、さまざまなイベントに協力させてもらいました。

その方はラーメン店の麺屋武蔵の創業者の山田雄さんです。原宿のアパレルからの転身で、魚介系(秋刀魚の煮干し)と動物系(豚骨)のダブルスープを初めて提供したことで有名で、ラーメン店グループを率いるだけでなく、食に関する仕事も多くされていました。

アパレル時代には私は原宿の住人であったためによく知っていて、麺屋武蔵が有名になってきたときには一号店の近くに私が住んでいたこともあり、また食品関係の仕事を私もしていたことから長く付き合ってきました。

その山田さんが震災被災地に初めて関わったのは新潟県中越地震(2004年)の後に麺屋武蔵のラーメンを現地で振る舞ったことでした。そして、3年後の新潟県中越沖地震では通有名ホテルやフレンチのシェフなどと連携して、「私たちは忘れていない」を掲げて毎年、現地でプロの味を楽しんでもらうイベントを開催しました。

その場所が実家の近くということで、私も参加させてもらい、東京での寄付イベントにも継続的に協力させてもらいました。

その活動は岡山に移住してからは参加できなくなっていますが、その精神は持ち続けています。その一つは、上道地域の防災マルシェの支援活動で、震災後の修行は今も続いています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

健康づくりの運動は、以前であれば企業内に運動施設を作り、これを社員が利用して健康づくりに取り組む姿は、よく見られたことです。また、スポーツチームを構成して、全社をあげて応援することで、全社員の健康の意識とモチベーションを高めるということが盛んに行われていました。

それが今では運動施設を設けている企業は少なくなり、外部委託としてスポーツクラブやフィットネスクラブを利用するように変化してきました。スポーツチームを企業内に設けるところは少なくなり、一緒に応援しながら社員自らが健康度を高めていくということも、なかなか見られなくなっています。

本格的な競技スポーツに取り組む企業が減っていく中で、健康スポーツに移行していく企業は徐々ではあっても増えています。健康スポーツは、生涯スポーツとも呼ばれていて、企業に所属しているときだけでなく、退職後も生涯を通じて楽しみ、健康づくりも継続させるという傾向は強まっています。

健康スポーツは日本レクリエーション協会によってまとめられていて、各都道府県の協会によって、それぞれの健康スポーツの推進が行われています。この健康スポーツを、会社をあげて採用したり、応援するという形も進んでいます。

中には一つの企業が中心となって、新たな健康スポーツを作り、企業グループとして社員の健康、OBの健康、そして家族の健康に取り組んでいるところもあり、その例としてよく取り上げられるのは、健康飲料の大手製造・販売会社です。

これはテニスをベースにした健康スポーツで、全国を取りまとめる協会があり、各都道府県に支部組織があって、OBが中心となって普及に取り組んでいます。現役とOB、その家族の健康だけでなく、健康スポーツによる地域の健康づくりにも取り組んでいて、これはセカンドステージの健康スポーツのモデルとなるものです。

1社で実施するのは大変であっても、地域の複数の企業が集って、協会活動をして、現役、OB、家族、そして地域の健康づくりの貢献をするということは可能です。そういった健康づくりと貢献の活動についてもアドバイスして、実践のためのサポートをするのもセカンドステージ活動の一つです。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕

「とろみ調整食品の日」介護医療食品のフードケア(神奈川県相模原市)が誤嚥防止の普及のために、と(10)ろみ(3)の語呂合わせで制定。

「榮太棲飴の日」榮太棲總本舗が榮太棲飴の生みの親の細田栄太郎の誕生日にちなんで制定。

「飲むオリーブオイルの日」クオリティライフ(和歌山県白浜町)がトルコ産のエクストラバージンオリーブオイルを飲む習慣による健康の提案からトルコ(10)サンシャイン(3)の語呂合わせで制定。

「ドイツパンの日」ドイツパン研究会が1990年に東西ドイツが合併された日にちなんで制定。

「洗浄の日」日本洗浄技能開発協会が1000(せん)は10の3乗(じょう)であることから制定。

「健康オートミールの日」ライスアイランド(岐阜県岐阜市)が10月はスポーツの日があって健康意識が高まる時期で、オー(0)トミ(3)ールの語呂合わせで制定。

毎月3日:「くるみパンの日」(カリフォルニアくるみ協会)、「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

1995年は、私にとっては記憶に残る年であり、その年にあったことは後々の行動にとっても影響を与えるきっかけでもありました。1995年は阪神・淡路大震災が発生した年であり、その後に出会った方々の中には、震災によって運命が変わった人も複数いました。

それまで続けてきた仕事を辞めなければならなかった人、仕事を変えたいと願っていたのを決断させるきっかけとなった人、社会貢献に目覚めた人、社会貢献を売り物にして新たな(あまり褒められたことではない)仕事を始めた人、頑張っても地震によって一瞬にしてすべてを失われることを知って頑張ることをやめた人などなど、大きな被害があるほど多くの人に大きな変化を与えることに気づかされました。

私が地震の被害の恐ろしさを初めて知ったのは1964年(昭和39年)の新潟地震でした。その当時は新潟県の山奥の村の小学校に通っていて、最大の被害があった新潟市とは約85kmの距離があったので、新潟市の震度5の揺れは実感することはなかったのですが、何度か渡ったことがある信濃川にかかる万代大橋が落ちたシーンをテレビで見て、その恐ろしさを感じたものです。

その記憶があったので、高校時代に東京の大学で学ぶことを決めたときに、東京の震災への不安がありました。上京してからは、どこを歩いていても、もしも地震が起きたとしたら、どうやって身を守ればよいかということを常に考えているような心配をしていました。

1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災では、遠く離れていたことから寄付をすることくらいしかできなかったのですが、たまたま栄養と運動による健康づくりの研究活動をしていたので、支援をする団体への情報支援を行っていました。

また、インターネットの草創期の仕事をしていて、Windows95の登場(11月23日)を前にして、ネット通信による社会基盤の構築には地震対策が重要であるとミーティングの機会で常に話していたことを今でも覚えています。

実質の被災支援は、関係先に呼びかけて寄付をまとめたことくらいしたが、その行動は自分の実家や親戚、知人などに戻ってくることになりました。

2004年に新潟県中越地震が発生しました。川口町(現在は長岡市)の直下で発生して、震度7は阪神・淡路大震災に次ぐ当時の観測史上2回目でした。私の実家の柏崎市とは37kmの距離で、柏崎市が震度6でしたが、大きな被害報道もなく、報道で知ったときにも、それほどの心配はしていませんでした。

ところが、弟が出張の帰りで高速道路の川口町を通過中に発生して、1日近く高速道路の中にいて、何度も余震で揺れ続けるという経験をしたことを聞きました。家に戻ってからも、2〜3日は、ずっと揺れ続けている感覚だったということも聞きました。

柏崎市の近くが震源地の新潟県中越沖地震が発生したのは2007年のことでした。震度6は中越地震と同程度だったのですが、震源地に近いということで、柏崎市では最終的に全壊1109棟、半壊4505棟という被害でした。

地震発生の第一報の直後に放送局の知人に連絡をして被害情報を確認しました。というのは、通信網が分断され、携帯電話もつながらず、地元から情報を得ることは不可能だったからです。

当日の夜の報道番組(全国放送)で、柏崎市からの中継があることを聞きました。最も倒壊被害が大きかった家の前での中継ということで、中継の時間を待ちました。テレビ画面に映ったのは私の実家でした。

私の記憶にあった家の姿はなく、一瞬絶望感に襲われたのですが、地域の住民として映し出された画面には私の家族が映し出され、そこで初めて全員が無事であったことを確認することができました。

実家は以前は米屋で、大きな母屋と蔵が自慢でした。その蔵の中には私の子どものときから社会人になってからの記録も収められていたのですが、それは全滅しました。過去の記録がなくなったことから、自分の記憶に残す作業を始めました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

微表情は、欧米人を対象として研究が進められ、隠そうとしても表に出てしまう心理状態を見抜く研究として結果が重ねられてきました。日本人の場合は、もともと表情が出にくく、単純な判定はしにくいと考えられてきました。

しかし、微表情の研究が最も盛んに行われたアメリカには、数多くの民族が暮らしていて、それぞれの民族の表情の特徴があるものの、それを加味して判定する方法も進化を遂げてきました。

この研究の中には日本人も含まれていることから、その成果をもって日本人の微表情を判定することは難しくないとされてきました。

そのような考えがある一方で、アメリカで暮らす日本人は環境(対人関係)に合わせて表情が豊かになることから、日本で暮らす日本人とは違っているということが言われるようになりました。

同じ日本人であってもコミュニケーションを取る相手によって表情の現れ方が違ってくるというのは普通にあることで、海外で暮らす日本人が外で見せる表情と、家に帰ってきて家族に見せる表情とが違っているというのは、よく経験されていることです。

アメリカでの日本人を対象とした研究と、実際に日本人の微表情を比較するには、日本で暮らす日本人だけを対象とした研究が必要となります。その結果をもって日本人の特性を見ていくことが大切になるということで、複数の研究が行われてきました。

その中でも信頼度が高いのが、京都大学こころの未来研究センターのグループが実施した研究に基づいて発表された「日本人の基本6感情の表情」です。

その内容については次回(微表情8)、紹介します。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省は「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」を公表しました。その中の「働く人が職場で活動的に過ごすためのポイント」の「社会生態学モデル」「行動変容を促すモデルについて」を紹介します。

〔社会生態学モデル〕
働く人が職場で活動的に過ごすためには、個人がその重要性を認識し、意識的に取り組むことが重要です。しかしながら、余暇時間ではなく労働時間において、活動的に過ごすことを重要視するには、個人の努力だけでは難しい側面があります。

職場で活動的に過ごすことの意義について共通認識がなければ、職場の同僚から、「仕事をさぼっている」と勘違いされてしまうかもしれません。長時間、座って仕事することを強要されるような職場環境では、個人の努力で活動的に過ごすことは困難です。

近年、社会生態学モデルが注目されており、人の行動に影響する要因が多層的であることが示されています。すなわち、個人だけに働きかけるのではなく、組織レベル、地域レベル、政策レベルでの対策を講じることで、集団全体への効果が高まるのです。

〔行動変容を促すモデルについて〕
働く人が職場で活動的に過ごすために、多層的な対策を講じる場合、具体的にどのような対策で講じればよいでしょうか。人の行動を科学する行動科学理論には、様々な理論がありますが、その1つにCOM-Bモデルという考え方があります。この理論は、行動(Behaviour)は、それを行う能力(Capability)、機会(Opportunity)、モチベーション(Motivation)が総合的に作用することで生じるという考えに基づきます。

能力としては、身体的な能力と心理的な能力があります。身体的な能力はトレーニングによって高めることができますが、心理的な能力を高めるためには、知識を提供し、理解を深めるための教育も重要になります。

機会は物理的な機会と社会文化的な機会があり、いずれも環境の変化が必要となります。モチベーションには内発的モチベーションと外発的モチベーションがあります。内発的モチベーションを高めるには、知識を提供し理解を深めることで、その行動に対して肯定的に考えられるようにする必要があります。インセンティブや環境の変化があれば、外発的モチベーションが高まります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省は「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」を公表しました。その中の「よくある疑問と回答」の後半を紹介します。

〔よくある疑問と回答〕
Q 筋トレで怪我をする可能性はどのくらいありますか?

A 怪我に関する科学的根拠は十分にはありません。しかし、60歳以上を対象に筋トレを行った研究121件をまとめた報告によると、43件(36%)で何らかの有害事象が報告されています。ただし、これらの報告は、軽微なものを含め介入期間中に発生したすべての有害事象が報告された結果であり、筋トレが直接的な原因かどうかは問われていません。いずれにしろ、怪我の発生に注意し、決して無理をせず、できるところまで実施するのがよいでしょう。

Q 筋トレをやればやるほど健康増進効果は得られますか?

A やり過ぎは帰って健康増進効果が得られなくなってしまう可能性がありますが、まだエビデンスが十分にないため、今後の研究が必要です。さらに、筋トレの内容(強度・反復回数など)に応じた健康増進効果のエビデンスも十分ではありません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「豆腐の日」日本豆腐協会が、豆(10)腐(2)の語呂合わせで制定。

「跳びの日」日本なわとびプロジェクトが跳(10)び(2)の語呂合わせで制定。

「グラノーラの日」カルビーが1をスプーン、0を皿、グラノーラの原料のオーツ麦(02)の語呂合わせから制定。

「杜仲の日」日本杜仲研究会が杜(10)仲(2)の語呂合わせで制定。

「とんこつラーメンの日」久留米ラーメン会が、とん(10)こつ(2)の語呂合わせで制定。

「芋煮会の日」山形県中山町が、い(1)も(0)に(2)の語呂合わせで制定。