「石の日」狛犬や地蔵などの石のものにお参りすると願いがかなうとされることから、い(1)し(4)の語呂合わせで制定。
毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)
「石の日」狛犬や地蔵などの石のものにお参りすると願いがかなうとされることから、い(1)し(4)の語呂合わせで制定。
毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)
「どこから来て、どこに行くのか」というのは、ポール・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』(1897〜1898年作成)から拝借した言葉です。
ゴーギャンが太平洋中心のタヒチで描いた代表作のタイトルですが、心に響く言葉でもあることから多くの楽曲の歌詞に一部が使われています。その数は日本だけでも70作品を超えています。
有名なところでは、松任谷由実の『経る時』の「どこから来て、どこへ行くの」、石川さゆりの『歌、この不思議なもの』の「どこから来て、どこへ行くのか」、浜田省吾の『境界線上のアリア』の「どこから来て、どこへ行くのか」、吉川晃司の『雨のTraveller』の「どこから来て、どこへ行くのか」、加藤登紀子の『川は流れる』の「どこから来て、どこへ行くのか」、レミオロメンの『Tomorrow』 の「どこから来て、どこへ行く」などで、知っている曲が外れているという方もいるかと思います。
書籍では『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(宮台真司著)には、表紙にゴーギャンの『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』が使われています。
ゴーギャンの絵画のタイトルは、カトリックの公教要理の中の三つの問いからヒントを得たもので、①人類はどこから来たのか、②人類はどこに行こうとしているのか、③どのように人類は進歩していくのか、の三つが問われています。カトリックの公教要理は問答形式で書かれたキリスト教信仰の教義書です。
ゴーギャンは娘を亡くし、家からの立ち退き、多額の借金、健康状態の悪化などが続き、失意のもとに訪れたタヒチで、ゴールのない人生について苦闘する中で描き上げました。
その苦闘に比べれば、問題ならないほどの人生しか過ごしてこなかった身の私が語るのも烏滸(おこ)がましいことですが、ゴーギャンの絵画のタイトルからは「行くところまで行こう」という覚悟を感じています。
ゴーギャンの絵画のテーマと、楽曲や書籍に使われる言葉との最大の違いは「我々は何者か」という部分で、この言葉にこそ考えるべきところがあります。これまでに日本人が築き上げてきた価値観が足下から揺らいでいる今、自分は何者か、つまり自分の存在意義と価値を確認することが重要で、そのために過去を振り返り、社会を再構築していくために力を注いでいこうという湧き上がる意志を示しています。
これを自分のこととして受け止め、常に「自分は何者か!?」と問うために、『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』を唱え続けています。
そのことは私が関わっている活動にも、好影響を与えていることを感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
同じことを話していても、同じ意味で話しているとは限らないというのは、どこの地域にもあることですが、その極端な地域とされるのが京都だというのは、ほぼ定説になっています。
言葉の通常の意味で捉えていると、失敗をしかねないということで、京都の人との付き合いはビジネスを含めて注意が必要だというアドバイスをする人は多く、これをネタにした書籍や雑誌記事、ネット情報も多数あります。
京都で食事をしていて、「おいしそうに食べはりますな」と言われたとき、どう考えたらよいのかということですが、額面どおりに“おいしいものを、おいしく食べている”、そのことがわかってもらえて、喜ばれていると思ったら大間違いということもあります。
「おいしそうに食べはりますな」は、食べ方が雑、もっと上品に食べてほしい、という意味合いで、中には「音をたてて食べるな!」というキツイ物言いを、やわらかな言葉づかいで言っているということもあるのです。
京都は観光都市であって、地方からの客で成り立っている店も多くあります。また、歴史がある街に並ぶ商店は地元の人の経営が多いとしても、そこで働く人は他の地域から来ている人ということも少なくありません。
「おいしそうに食べている」という指摘が、すべて裏の意味合いで言っているということはなくて、それは他の地域から来ている人に対しての、京都特有とされる“いけず”の表現ではないはずです。
しかし、「郷に入っては郷に従え」ではないのですが、一定の雰囲気の中で仕事をしていると、だんだんと“郷の人”の雰囲気を身につけていってしまうことも往々にしてあります。
京都の周辺に住む人は、京都人との交流を若い時分からしてきているので、京都で仕事をしているだけでも“郷に従った”雰囲気を醸し出しがちです。こういったこともあって、京都では本当においしい料理でも「おいしそうに食べている」と思われないように、気をつかってしまいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
発達障害は医学的な診断がされますが、それは過去の例に照らし合わせて、それに当てはまるか、その状態の程度によって判定されています。過去の例が豊富にあって、その特徴が一定であれば的確に判定することは可能です。
ところが、発達障害の診断は長い歴史があるものではなく、また発達障害の特徴とされることも個人の性格や持って生まれた特性によってばらつきが大きく、専門医でも判断に迷うことがあります。
専門医というのは精神・神経科の医師というだけでなく、子どもの特徴、成長段階による差の振れ幅がわかっていて、さらには発達障害の子どもを、どれだけ診てきたかで判断されることです。
児童発達支援施設で実際にあったことをリサーチしていくと、発達障害と診断された子どもを預かってみて、どうも違っているのではないかと疑問を抱いている発達支援の専門家もいます。
私が関わっている施設の例ですが、発達障害があるとして児童発達支援施設で改善指導を受けに来ている子どもの弟を、保護者が連れてきたことがあります。その行動から弟のほうが明らかに発達障害の特性が見られることから、専門医の診断をすすめたのですが、保護者が認めないということもありました。
発達障害の特性としてあげられることの中には、日常生活の中で当たり前の行動の範囲とされることもあります。その子どもの普段の行動がわからない状態で、判定すると間違いかねないことも多々あります。
また、特性は日によっての差、時間によっての差、対面する人による差もあって、判定されたときには、いわゆる“調子が悪い状態”であることも少なくありません。そこまで保護者が伝えた上での判定なのか、そこは確認する必要があります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「ひとみの日」眼鏡・コンタクトレンズ業界が、ひ(1)とみ(3)の語呂合わせで制定。
毎月3日:「くるみパンの日」(カリフォルニアくるみ協会)、「みたらしだんごの日」(山崎製パン)
東京にいたときには、さまざまな団体の会員として参加していましたが、その中の一つの日本文芸家クラブでは理事を務めていました。
そのときに、会報誌の編集を担当することになり、会員の方々を訪ねたり、締め切りを伸ばしてもらおうとして酒の席に招かれることもあって、作家の先生と会う機会が多数ありました。
同時期に理事を務めていたペマ・ギャルポさんは、私より2歳年上ということで、会を離れても親しく付き合わせてもらいました。ペマさんはチベット出身で日本に帰化した方で、チベット文化研究所所長、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当代表も務めていました。
懇親会などで一緒になったときには、ダライ・ラマと生まれ変わりの話を周囲の方にしていましたが、よほどチベット問題に関心がある人でないと理解してもらえないことを嘆くこともありました。
私はチベットについて深く学んだことはないのですが、出身校の東洋大学の図書館には山のような仏教関係の書籍の中に、ダライ・ラマに関する書籍も多数ありました。全部を読んだわけではないものの、チベット仏教の化身ラマのことも、チベット語で大海を意味するダライと、師を意味するラマということも知っていました。
チベット仏教の守護尊は観音菩薩で、ダライ・ラマは観音菩薩の化身として転生系譜とされています。現代のダライ・ラマが没すると託宣などによって次代のダライ・ラマが生まれる地方や特徴が予言され、そこで子供が探されて、本当の化身であるかを特徴や子どものときの癖、過去の記憶によってダライ・ラマの生まれ変わりと認定されます。
現在のダライ・ラマは14代で、初代のゲンドゥン・ドゥプパ(1391〜1474年)から500年以上は続いていることになります。
ダライ・ラマ14世の後継は中国政府が認定する、といった話は、ここでは触れないことにしますが、もう一人の化身ラマであるパンチェン・ラマ10世は中国政府によって認定され、インドに亡命したダライ・ラマ14世の代わりを務めているというような話は、別の機会に書かせてもらいます。
過去の知識に、ペマさんから得た知識を合わせて、自分なりの行くべき先を考えました。転生系譜は望むべくもない世俗の私ができることとしたら、死んでも残る世の中の役に立つことを作り上げることだと考え、その実践は、もうじき古希という今も続けているつもりです。
自分がするべき役割は、行く先々で徐々に船のサイズが変わり、最後には大きな船で大海を進んでいくようなものではないか、とも思っています。
自分が住む場所も仕事も行く先々で変えながら歩んできたことと、大海師(ダライ・ラマ)になぞったことではあるものの、大海に漕ぎ出した船が、どこに行くのか、それを知ることができる日を楽しみにしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
2025年1月3日に、まだ表立った昭和100年問題の影響は表れていないようです。
何事もなかったような年明けの安穏さの裏で、デジタル時刻の認識が正確にできないためにコンピュータネットワークのシステム障害が起こっていても、その実際のところを確認することは難しいかもしれません。
昨年末になって、複数の金融機関がシステム障害を発表していましたが、その影響が全体的なことではなくて、ネットバンクだけの限られた範囲の障害だったとの報告でした。
航空会社が大幅な欠航や遅れを起こした原因も、システム障害であり、当日のうちに解消されたと報告されたものの、その影響は翌日も続きました。
金融機関のシステム障害が起こり、大手通信会社のシステム障害は昨日も発覚しました。
どちらの場合も、サイバー攻撃によるもので、攻撃してきた国は3か国のどこかと考えられています。どこの国も、過去に同じことをしてきて、国をあげて組織的に行っていたことから、今後は過激になっていくことが想定されています。
報道されていない中でも、いろいろと起こっていることは聞いていますが、幸いにして年末年始の9連休という猶予期間があるので、仕事始めのときには何事もない(何事もなかったように振る舞える)状態になっていることを期待しています。
この連載コラムは、これで終了としますが、再開したときには何かが起こっていることを伝えなければならないということで、このまま中途半端な回数で完全終了することを願っています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、栄養素の指標を設定しています。ここでは栄養素の指標の各項目について、前回に続いて紹介します。
〔耐容上限量〕
健康障害をもたらすリスクがないとみなされる習慣的な摂取量の上限として定義されます。
これを超えて摂取すると、過剰摂取によって生じる潜在的な健康被害のリスクが高まると考えられます。
理論的には「耐容上限量」は、「健康障害が発現しないことが知られている習慣的な摂取量」の最大値(健康障害非発現量)と「健康障害が発現したことが知られている習慣的な摂取量」の最小値(最低健康障害発現量)との間に存在します。
〔目標量〕
生活習慣病の発症予防を目的として、特定の集団において、その疾患のリスクや、その代理指標となる生体指標の値が低くなると考えられる栄養状態が達成できる量として算定して、現在の日本人が当面の目標とすべき摂取量として設定されます。
これは、疫学研究によって得られた知見を中心として、実験栄養学的な研究による知見を加味して策定されるものです。
しかし、栄養素摂取量と生活習慣病のリスクとの関連は連続的であり、かつ閾値が存在しない場合が多くなっています。このような場合には、好ましい摂取量として、ある値または範囲を提唱することは困難となっています。
そこで、諸外国の食事摂取基準や疾病予防ガイドライン、現在の日本人の摂取量・食品構成・嗜好などを考慮して、実行可能性を重視して設定することとしています。
また、生活習慣病の重症化予防およびフレイル予防を目的とした量を設定できる場合は、発症予防を目的とした量(目標量)とは別に示されます。
各栄養素の特徴を考慮して、基本的には次の3種類の算定方法が用いられます。なお、次の算定方法に該当しない場合でも、栄養政策上、目標量の設定の重要性を認める場合は基準を策定することとしています。
1 望ましいと考えられる摂取量よりも現在の日本人の摂取量が少ない場合
範囲の下の値だけを算定します。食物繊維とカリウムが相当します。
これらの値は、実現可能性を考慮して、望ましいと考えられる摂取量の現在の摂取量(中央値)との中間値を用いています。小児については、目安量で用いたものと同じ外挿方法(参照体重を用いる方法)を用いています。ただし、この方法で算出された摂取量が現在の摂取量(中央値)よりも多い場合は、現在の摂取量(中央値)を目標量としています。
2 望ましいと考えられる摂取量よりも現在の日本人の摂取量が多い場合
範囲の上の値だけを算定します。飽和脂肪酸、ナトリウム(食塩相当量)が相当します。
これらの値は、最近の摂取量の推移と実現可能性を考慮して算定しています。小児のナトリウム(食塩相当量)については、推定エネルギー必要量を用いて外挿して、実現可能性を考慮して算定しています。
3 生活習慣病の発症予防を目的とした複合的な指標
目標とする構成比率を算定します。
エネルギー産生栄養素バランス(たんぱく質、脂質、炭水化物が、総エネルギー摂取量に占めるべき割合)が、これに相当します。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「初夢」その年に初めて見る夢ではなく、2日の夜に見るのが初夢。
「箱根駅伝の日」東京箱根間往復大学駅伝競走は記念日に登録されていないものの、箱根駅伝のスタートの日が一般に言われている。第1回(1920年)は1月14日がスタートの日。1956年から1月2日、3日に開催されるようになった。
“奇跡の9連休”と呼ばれる2024年から2025年の移行の間に東京人脈とのオンライン会議がありました。表向きのテーマは「昭和100年」で、昭和99年から100年になるときに、各業界で、さまざまなことが起こることが懸念されている“昭和100年問題”に関して情報交換をする場でした。
昭和100年問題については、日本メディカルダイエット支援機構のホームページの最新情報の中に「昭和100年」のテーマで書いてきました。その最後の掲載は明日(2025年1月3日)です。
表向きではない会議の内容は詳しくは書けないのですが、その会議を通じて7年と9か月前に東京から岡山に移住した私を東京にUターン移住させようと動いていた霞が関や永田町の方々に最終決断を伝える機会になりました。
画面を通して会話をするメンバーの中には、なぜ私が厚生労働省との付き合いが深かったのか、なぜ古希が間近なのに人脈と情報交流ができているのかを知らない方もいたので、そこから話をさせてもらいました。
1986年に病院栄養管理研究所に主任研究員として参加しました。所長は国立病院に所属していた管理栄養士のトップで、同時期に日本栄養士会の理事長も務めていました。当時の厚生省の栄養専門官、栄養指導官は国立病院の管理栄養士が人事派遣されていました。
所長の後輩が霞が関の栄養行政の担い手であったことから、その部門に私は普通に出入りしていました。新たな栄養関連の施策を立てるときには、外部の専門家の支援が必要で、その一部を所長が担っていました。
その手伝いという形で、“いろいろな仕事”をさせてもらいましたが、そのときに一緒に仕事をさせてもらった方が、厚生省と労働省が合併して厚生労働省になったとき(2001年)の初代の厚生労働事務次官となったこともあって、ますます“いろいろな仕事”をすることになりました。
そのことは、これまでの連載コラムの中で少しずつ書き残しています。
1999年には巡回健診の最大の全国団体の編集委員になり、月刊情報誌の編集を2012年まで務めました。この期間には霞が関の仕事は厚生労働省から他の省庁に広がり、メタボリックシンドローム対策の特定健診・特定保健指導が始まった2008年に、特定非営利活動法人日本メディカルダイエット支援機構を設立して、理事長に就任しました。
その役員には、臨床栄養、薬学、運動科学などの専門家がいて、お役所からの紹介も受けましたが、博士号を持つ方も複数いました。
2015年には機能性表示食品制度が立ち上がり、その年から消費者庁の機能性表示食品の委員を、岡山に移住する寸前の2017年3月まで務めました。その後も霞が関と永田町との連携は続き、公式の役目が解かれたのは2023年9月末のことでした。
その後も非公式では付き合いをしてきたものの、一般の「メディカルダイエット」のイメージに近いことをしてきました。
そのイメージに近いことは、日本メディカルダイエット支援機構のホームページの最新情報に書き続けてきていて、今日現在(2025年1月2日)で、7294本となりました。
これに目を通してもらえれば、何をしてきて、何をしようとしているのかは、私の背景を知っている方には理解してもらえるように書いたつもりです。
その理解してもらえるようなことは、まだまだ続けられるところまで続けていきます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕