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日本は元号と西暦の両方の年数表示を採用しています。官公庁や金融機関などの書類は元号が基本で、コンピュータシステムの多くは西暦で打ち込んでも令和で表示されます。

昭和から平成になったのは昭和64年(1989年)1月8日のことで、この日が平成元年の始まりで、その前日までが昭和時代です。
平成から令和になったのは平成31年(2019年)4月30日ではなく、翌日の2019年5月1日が令和元年です。これは崩御ではなく、平成天皇が退位されて今上天皇が即位をしたからのことです。

遅れた考え方をしている人のことを“昭和の発想”と言うことがあり、令和の時代に、そのような発想を続ける人には、「その間に平成の30年があるのに」と言ったりもします。

令和を西暦に換算するには、令和の年数に「018」(れいわ)を足せばよいという覚え方が使われます。令和6年であれば18を足すと西暦の下2桁の24になるので、「2024年」が正解となります。

このようなことはコンピュータの中でも行われていて、昭和では何年になるのかということも、昭和を西暦に換算して、それに経過した年数を足して、それから令和に換算するという面倒なことをしています。

面倒だというのは人間の考え方であって、コンピュータにしてみれば簡単なこと、即座に終了することですが、その仕組みが時代にあっていないと思ってもみないようなことが起こりかねません。

昭和100年問題は、そこが重要なことであって、今でも官公庁や金融機関を中心に公文書では、年を昭和2桁で表現するシステムが存在しています。令和の今もシステム内部では昭和として扱われているのです。

元号で使われるのは1世代の年であるので、99年の間で表現できます。そこが元号のよいところではあるものの、昭和100年になったときには、想定をしていなかった3桁になるので、これを昭和0年と認識することが起きて、デジタル時計で動かされているシステムが正しく動かなくなるシステム障害が懸念されています。

アメリカをはじめとした世界のデジタル時計は初めから西暦で、1999年から2000年になるときに2000年を1900年と認識して誤作動を起こすシステム障害が懸念されました。

実際に2000年問題では誤作動は起こり、年数処理に起因するシステム障害が起こったものの、事前の対応などによって大きな障害は発生しなかったと報告されています。

日本ではデジタル庁が2021年9月に創立され、こういった問題が一番に解決されることを期待していたのですが、各省庁のシステムの連携やマイナンバーカードの推進のほうに力が注がれた結果、完全に後回しになっています。

昭和100年問題は、日本の特殊事情であり、対応が遅れているのは明らかです。官公庁や企業・団体などでは幸いにして対処ができたとしても、取引先、個人のパソコンのシステムも関係してくることだけに、何が起こるかわからないという認識で、できることはすべて想定して、手立てをしておく必要があるのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省は「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」を公表しました。その中の「よくある疑問と回答」を紹介します。

〔よくある疑問と回答〕
Q 具体的にどのような筋トレに取り組めばよいでしょうか?

A 参考例の1つとして、厚生労働省が公表している「標準的な運動プログラム」があります。例えば、マシンを使う場合は最大挙上重量の60〜80%の重さを8〜12回繰り返し、大きな筋群をまんべんなく鍛えることが推奨されています。
これをベースに個人にあった内容で実施しましょう。必要に応じて、運動指導の専門家に自分の状態にあった筋トレのプログラムについて相談しましょう。自宅で実施する場合は、無理せずに「できなくなるところまで実施する」が、最も簡単な目安だといえます。また、血圧の急激な上昇を抑えるために、息をこらえないように注意してください。

Q 推奨事項に従って筋トレを実施すれば筋骨隆々になれますか?

A 推奨事項は長期間にわたる健康の維持・増進を目的とした場合の目安です。そのため、競技力向上やボディビルディング、体型改善を目的とした場合は、それぞれの目的に合った筋トレのプログラムを実施するとよいでしょう。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省は「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」を公表しました。その中の「現状」「取り組むべきことは何か」を紹介します。

〔現状〕
国内において、筋トレを実施している人の割合は9〜29%であり、年齢別にみると18〜19歳で29%と最も多く、年齢が上がるとその割合は減少します。

2016年の社会生活基本調査によると、「器具を使ったトレーニング」を実施している人の割合は15%で、「ウォーキング・軽い体操」の次に多いという結果でした。
筋トレなどを含めた筋力の向上につながるようなすべての身体活動を対象とした場合、週2日以上実施している人の割合は14〜74%であり、高齢者においてその割合は低い傾向にあります。

〔取り組むべきことは何か〕
筋トレの実施割合は、高齢者や女性で低い傾向にあります。このような人々はロコモティブシンドロームやフレイル、骨粗鬆症を特に発症しやすいことが知られています。そのため、筋力及び身体機能、骨密度の維持改善が期待できる筋トレを、積極的に推奨していく必要があります。
筋トレを継続的に実施してもらうためには、まずは筋トレの健康増進効果や実施方法の基本を知ってもらうことから始めるのもよいでしょう。筋力アップは効果を実感しやすいので、うまくフィードバックをして実施者の自信につなげていきましょう。

筋トレを行う際は、個人の特性や能力に合わせて実施する“個別性の原則”が重要です。運動教室などの集団で実施する際は、目的を明確にし、一律の目標回数(ノルマ)を設けるのではなく、個人に合った目標を設定することを勧めましょう。

筋トレは、運動器の機能の維持・増強だけではなく、疾病や死亡を予防する観点からも実施が推奨されていることを、自治体や運動指導者は積極的に周知することが重要です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ガトーショコラの日」1998年9月21日にガトーショコラ専門店からガトーショコラが販売されたことを記念して制定。

毎月21日:「木挽BLUEの日」(雲海酒造)、「漬物の日」(全日本漬物協同組合連合会)

「必要なものさえあれば生きていける」という感覚がある一方で、「便利なものがなくなる寂しさ」という感覚があるのは普通のことなのでしょうが、私の場合は「必要なものがなくても生きていける」「便利なものはなくなるのが当たり前」という感覚があり、これは子どものときから今までの生活環境が影響しているようです。

情報収集、情報分析、情報発信を生業にしてきた身からすると、情報が山のようにある書店は、ありがたい存在でした。物心がついてから小学3年生になるまでに住んだ3か所には書店はなく、3年生のときに洋品店に雑誌が少し並ぶという程度でした。

今のようにコンビニに雑誌や書籍が置かれている時代に、行動範囲に紙媒体の情報が手に入らないという地域はほとんどなくなったと思いますが、書籍や雑誌に触れる機会は都市部に出たときくらいでした。

情報格差という言葉を知らないときから、都市部で暮らしている従兄弟(父方も母方も)の家に行くと書籍や雑誌があり、その中に書かれている事柄が話題にのぼると“何を話しているのかわからない”という疎外感がありました。

父親は警察官で、家には仕事関係だけでなく辞書や百科事典もあったのですが、幼い時だったので、読めるような状態ではありませんでした。3歳になる前に親元を離れて母親の実家の寺院で暮らした3年ほどの間には、書籍といえば仏教関係のもので、子どもが読める絵本も1種類だけだったので情報はないに等しい状態でした。

4年生のときに1年だけ暮らした都市部には書店が2軒あり、歩いて20分以上はかかるのに、時間さえあれば通っていました。そこには1年間だけしかいなくて、その後の3年半を暮らした町には書店はなくて、新刊は手に入らないので、父親の百科事典(全20冊以上の全集)を愛読書としていました。

学校の教科書に載っていないことが多く書かれていたので、全ページを端から読んでは、疑問などがあったら父親と母親に質問をするという日々だったのを覚えています。忙しい父母にしたら、やかましい存在だったのでしょうが、「好奇心を途絶えさせてはいけない」という父母の考えのおかげで、百科事典にも書かれていないことを知ることができました。

百科事典と父母の知識がなかったら、情報を得る便利なものがなくなった不安感に押しつぶされていたのではないかと今にして感じているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日本人の体質は欧米人だけでなく、東アジアの各国とも異なっていることを前回(シン・日本人の体質3)説明しました。東アジアの中国、韓国、モンゴルなどは外見も顔立ちも日本人に近いことから、体質も同じと考えられがちですが、身体の中は大きく違っているところがあります。

身体の構造と機能は同じであっても、その働きや調整能力には違いがあり、同じ生活パターンで、同じものを食べていても、身体の反応には違いがあります。反応の違いは、健康づくりの方法による結果も違ってきます。

東洋医学は、西洋医学が中心の日本にあっても人気が高く、体質に対する考え方も広く支持されているところがあります。東洋医学では「証」によって個人の状態を判定して、それに合致した方法で改善を図っています。

病気や体調の不良を検査によって発見したら、それを治す薬を出すというのは西洋医学的な発想で、東洋医学では治療のための薬と証に合わせた改善法を組み合わせて対処しています。

証は、自覚症状と他覚的所見から得られた状態(体質、体力、抵抗力、症状の現れ方などの個人差)を表す東洋医学特有の用語です。健康状態を保つために良いとされることであっても、体質に合わないと状態を悪化させて、かえって健康を害することになるという考え方が基本となっています。

証は複数に分類されていますが、その根本として使われているのは3つの分類です。
身体が温かいか冷えるか、体内の水分が多いか少ないか、体力があるかないかといったことで、温冷でいうと温かいか冷えるか、どちらでもない中庸かという大きな分けられ方がされています。この3種類の分類で3つの判定をすると全部で27パターンとなります。

最も良い状態は、すべてが中庸ということです。

検査によって病気が発見されて、医薬品を使う場合には、西洋医学では最も効果があるものが選択されますが、東洋医学では体質に合ったものの選択が優先されます。薬効があっても、体質に合わないものは結果が出にくく、場合によっては悪化させることにもなります。

身体を温めるのは健康によいとされているものの、身体が温まりやすい体質の人には体温が高まりすぎて、かえって状態を悪くすることにもなります。

この考えとは異なる、体質を踏まえていない日本の治療については、次回(シン・日本人の体質5)、明らかにしていきます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「初心にかえる」は漢字では帰るも返るも使われます。これは使い間違えや記憶違いということではなくて、主体(意味合い)が違っています。どちらも辞書に載ってはいるのですが、帰るは主体が人の場合に使われていて、返るの主体は心のあり方です。

初心を忘れてはいけないという意味で使われる「初心忘るべからず」は、“返る”が正しいことになるところですが、根源となるところに戻るのは“還る”が使われます。

このような用語の違いを納得して使うためには、自分にとっての初心とは何か、「初心忘るべからず」と再認識したことを思い起こすことが重要との考え方をしています。自分にとって、これまでやり続けてきたことを、そのまま続けるのか、それとも止めるのかを考えたときのことを例として書かせてもらいました。

自分の健康のアイデンティティ(自我同一性)として、ずっと追い求めてきたのは「日本人の体質」でした。ここまで研究すれば、もう新たなことに挑戦しなくても大丈夫だろうというところまで進んだときに、「初心に還るしかない」と決断させることになったのは、これまで日本人の体質として掲げてきたこと、文章化したことが通じない人が増えてきたことでした。

これまで行ってきたことが正しかったという前提での研究の継続を続けるのか、それとも間違っていたところがあるとの考えで見直しをするのかの決断を迫られたときに、考えついたのは両方を組み合わせることでした。

“日本人”というのは、数千年前に日本に訪れた渡来人まで遡ることはしないとしても、少なくとも3世代(曽祖父)前の時代まで日本人同士で結婚した人という前提をとっています。

途中で東アジア出身の人の血が混ざったとしても、外見が変わらないのは普通に考えられることで、体質も同じように考えられがちです。見た目が同じようだと体質も同じというのは、体質研究をしてきた立場からは言うことはできません。

というのは、中国、韓国、モンゴルなどの東アジアの方々は北方系であって、全身の細胞のエネルギー代謝からして日本人とは違っています。そこを考えると、血管の状態、免疫、コレステロールの代謝、腸内細菌の種類などの違いがあるのは当然のことで、これまで常識とされてきた健康づくりの手法が通じない人が増えてきているのは仕方がないことです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「初心忘るべからず」の最後の教えは、「老後の初心忘るべからず」で、室町時代の能楽の大家の世阿弥が記した能の秘伝書『花鏡』の「是非とも初心忘るべからず」、「時々の初心忘るべからず」に続く言葉です。

「時々の初心忘るべからず」では、それぞれの段階の初心について記されていて、その段階には老後も含まれています。家元制度のような伝統芸の世界では、身体が動き限りは、たとえ体力の衰えで表立った芸事が続けられなくなっても、指導する立場は延々に続きます。

「いつまでが現役か」と問われれば、「死ぬ直前まで」と答えるのが当然と考えられるような世界です。だから、「時々の初心」と老後も含まれているので、最後の「老後の初心」は必要がないように思われることもあります。そのような解説もされがちです。

ところが、あえて「老後の初心忘るべからず」と重ねて記しているのは、「時々の初心」を超える重要な「老後の初心」の意味合いがあるからです。それは、年をとっで初めて行うことがあることを指してのことです。

例えば、家元制度で言えば、トップは宗家(家元)であって、そこを目指そうとしても宗家は、その家に生まれた者だけが許されるゴールです。会社社会のように社長、会長になるチャンスは誰にもある、可能性はゼロではないという世界とは違っているのです。

組織のトップを目指すのでなければ何を目指すのかということですが、はっきりとしているのは「年をとったから、もういい」ということがない世界だということです。

幾つになっても初めて遭遇する局面はあり、それに対しては新たな気持ちで向き合わなければなりません。また、年齢を重ねて技術を高め、周りから尊敬されるようになっても油断をすることなく、さらに自分を磨き上げなければならないと言う深い意味合いがあります。

一つの世界にいた人は、芸事でも技術職でも、その内容だけで評価されるわけではなくて、人間性という世間の評価がついて回ります。それだけに自分が、どう感じているかではなく、周りの人に任せるしかないことです。

“老後”という用語には、その年齢に達した身には抵抗感を感じることもあるのですが、常に学び続ける姿勢は忘れてはいけないことです。それを的確に表す用語として、メンターン(mentern)という造語を掲げています。

これは指導者、助言者を意味するメンター(mentor)と、経験を積む立場を意味するインターン(intern)を合わせたもので、常にメンターンの気持ちをもって学び続けることは、今のように変化が激しく、これまで想像もしていなかったことが起こりかねない時代には大切な姿勢だということを伝えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

室町時代の能楽の大家の世阿弥が記した能の秘伝書『花鏡』に残した言葉には、「是非とも初心忘るべからず」に続いて、「時々の初心忘るべからず」と書かれています。

年盛りから老後に至るまでの、それぞれの段階で年相応の芸を学び、それぞれの初めての境地を覚えていることによって、幅広い芸が可能になると説明されています。

年齢に相応しい芸と技能があり、それぞれの段階を経験して、それぞれの試練を乗り越えていくことを指しています。

本当の意味の初心者だけでなく、段階を重ねて、すでに初心者と呼ばれることがないようになっても、それぞれの段階で初心者の心構えで励むことの重要性を述べている言葉です。

今の自分は一足飛びに初心者から、技術や経験を重ねた状態になったわけではなくて、すべての段階で初心を大切にして歩んできたからこそ、技術と経験に裏付けられた現在の地位があるという考えです。

これは本当の意味の“初心”を忘れないように常に振り返るだけでなく、それぞれの段階に達したときに得た“初心”を抱くことによって、さらに次の段階にステップアップしていくことができます。

この初心の境地は、能などの芸事だけでなく、あらゆる仕事にも通じるところではあるものの、単に売り上げが伸びた、地位(役職や責任など)が高まったということでは、達成しにくいことかもしれません。

芸事の世界には家元制度があるところが多く、一つずつ高まっていくという目標が明らかにされていて、地位は信頼と収益が着実についてくる仕組みになっています。これは家元制度の中にいれば、着実に質と地位が保証される伝統的な世界であるからです。

これに対して、現在の転職が当たり前、組織を離れることこそステップアップという感覚が当然と考えられるような時代には、「時々の初心」の意味合いが違ってきます。新しい職場、新しい取り組みが、それぞれ初心となり、これを克服することこそが「時々の初心忘るべからず」ということになるようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

一般に「初心忘るべからず」の意味として使われているのは、室町時代の能楽の大家の世阿弥が記した能の秘伝書『花鏡』に残した言葉のうちの「是非とも初心忘るべからず」の意味するところです。

是非は舞が良くても悪くてもという意味で、初心者のもつ緊張感とひたむきさには人を引き込む力があり、勢いと緊張感は忘れてはならないということを示しています。
未熟だったときに励んだこと、困難に向き合ったときに乗り越えてきた新鮮で謙虚な気持ちを忘れてはならないということです。

『花鏡』には、「是非とも初心忘るべからず」に続いて、「時々の初心忘るべからず、老後の初心忘るべからず」と書かれています。

是非の初心は重要なことではあっても、それだけでは充分ではなくて、時々の初心も老後の初心も忘れてはいけないということは3つの言葉を並べてみるとわかることです。

「時々の初心忘るべからず」と「老後の初心忘るべからず」については次回以降に例を挙げて紹介していきますが、それを踏まえて「是非とも初心忘るべからず」を読み直してみると、ただ初心を忘れないようにすればよいということではありません。

「常に新人の気持ちでいること」を重視して、それを営業の心得などに掲げている経営者もいます。時代は常に変化していて、今のように急激な変化があり、それに的確に対応していかなければ生き残れないような状況です。

昔のことを思い出して、それを繰り返していればよいということではなく、成功例をなぞっているとしても時代に即したアレンジが必要になります。平成の時代に「昭和の時代の成功談を語られても」という声を聞くことがありましたが、平成の30年を経た令和の時代に「昭和の時代の成功談を語られても」と言いたくなるようなことは多々あります。

そのようなことに言われないように、今の時代の「初心忘るべからず」を考えていくべきだと認識しています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕