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「育休を考える日」積水ハウスが育児休業を促進するために育児(19)と休(9)の語呂合わせで制定。

「愛知のいちじくの日」JAあいち経済連が、いちじくの出回り時期(7〜10月)で、いち(1)じく(9)の語呂合わせで制定。

毎月19日:「いいきゅうりの日」(いいきゅうりの日プロジェクト)、「松阪牛の日」(やまとダイニング)、「熟カレーの日」(江崎グリコ)、「シュークリームの日」(モンテール)、「クレープの日」(モンテール)、「食育の日」(食育推進会議)、「イクラの日」(カッパ・クリエイト)

大学を卒業してから50年近くを経た今も、就職をしたことがありません。そのため、給料もボーナスももらったことがなくて、周囲から物知りと言われることがあっても、会社組織や給与支払いのことはイマイチ把握ができていないことがあります。

卒業時には就職難の時期で、就職浪人が普通にあって、大学受験で浪人をして就職時に浪人をして、年齢の問題で就職できずに自分で稼ぐしかないという同級生、同窓生が何人かいました。

今回のお題の「組織に属さない50年間」は大学卒業後からのカウントではなくて、大学生のときに仕事をして分も含めています。その仕事はアルバイトではなく、今の時代のような起業でもなくて、仕事として学業と両立させていました。

といっても“二足の草鞋”ということではなくて、大学で学んでいたことと仕事に通じるところがあって、まさに両立させているという感覚で働いていました。

詳しくは別の機会に書いていきますが、大学1年生のときには政治家の私邸で錦鯉の世話をしていて、年を経るごとに回数こそ減ったものの3年生まで続きました。2年生のときにはクラシック音楽専門誌の編集と原稿書きをして、これは3年生まで続きました。

3年生のときには知人の親戚の割烹で調理補助を始めて、これは4年生まで続けました。4年生のときには、クラシック音楽専門誌の編集長のお父様を通じて知り合った出版社の社長の関係で厨房機器の業界団体の月刊機関誌の取材・執筆・編集が始まりました。

この仕事は1年限りの約束だったのですが、就職先を紹介してくれるという親戚が持ち込んできた話が反故にされて、卒業後も機関誌の仕事を継続することになりました。

親戚の人は業界紙の編集部にいて、そこに就職できるので他の会社への就職活動はしないように、と言われていました。社長にも挨拶をして、機関誌の編集の仕事の実績を見てもらい、気に入ってもらっていました。

そろそろ卒業の時期ということで、その社長に連絡をしたところ、驚きの出来事を知りました。親戚の人は、すでに退職をしていて、私の就職先は親戚の人が責任を持って探すから、と聞かされていたとのことでした。

何があったのかと親戚の人に連絡をしたら、謝りや説明をする前に、私がやってきた機関誌の編集を自分にもやらせてもらえないかと言われましたが、さすがに断りました。

業界団体に行って、仕事がなくなったことを伝えました。

そのときに専務理事から、機関誌の編集を続けてほしいとの話がありました。しかも間接的なアルバイトではなく、私が直接受けて手がけるということでした。その理由として聞かされたのは、受けていた出版社はオーナーに隠れての秘密のアルバイトで、それがバレてしまって手を引かざるを得なくなったとのことでした。

なんだか、他人の思惑に振り交わされた感じでしたが、そのときの編集経験が、その後の病院調理師団体の機関誌、臨床栄養の機関誌、病院給食業界の機関誌、巡回健診団体の機関誌、サプリメント講習の講師、運動関連団体の理事としての活動へとつながるスタート地点となりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

7つの表情分析のうち、前回の3つ(喜び、悲しみ、怒り)に続いて、4つの表情分析を紹介します。

◎嫌悪(Disqust)
嫌悪の表情には2つの異なったパターンが見られます。単純な表情では上唇が上がっているだけですが、もう一つの表情は鼻にシワが強く寄るために眉は引き下げられ、目は細くなります。

下唇は押し上げられ、口は閉じられるのですが、鼻にシワが寄る嫌悪の表情では唇が開く場合もあります。どちらの表情もU字形のシワが鼻孔から唇にかけて見られます。

嫌悪の表情は、前回紹介した怒りの表情と混同されることがあります。どちらの表情も唇は閉じられていますが、怒りの表情のほうが強く閉じられています。

視線は怒りのほうが嫌悪よりも強く凝視している感じになります。眉はともに引き下げられますが、怒りの表情では眉はしかめっ面のように眉が寄ります。

嫌悪の表情の変化は、全て顔の中央線で起こるという特徴があります。

◎軽蔑(Contempt)
軽蔑の表情は、顔面の片側だけの動きが見られます。唇の端が吊り上がり、わずかな微笑みを伴う場合と、伴わない場合があります。

◎恐れ(Fear)
恐れの表情は、眉は吊り上がりますが、同時に緊張して、額に対して水平に、波状の形状となります。上まぶたは強く引き上がり、下まぶたは緊張しています。そして、唇は水平方向に引き伸ばされます。

◎驚き(Surprise)
驚きの表情では、眉は上がり、アーチを描くように丸い形になります。上まぶたも上がり、時として眼の虹彩より上までになります。そのために白目の部分が見えます。驚きの表情では、すべて口が丸く開きます。

恐れの表情と驚きの表情は、よく混同されます。眉はともに吊り上がりますが、恐れの表情では眉はまっすぐ吊り上がっています。驚きの表情では眉の形がカーブします。

上瞼は、ともに持ち上がりますが。恐れの表情のほうが強く持ち上がります。唇は両方の表情ともに開きますが、驚きの表情では唇はリラックスしているのに対して、恐れの表情では唇は水平方向に引き伸ばされます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

よいことは、いつまでも続くと思いがちであり、そう願うのは当たり前の感覚です。ところが、そうはいかないのが世の中で、変化が急速に進んでいる時代には「常に足場が失われる変化を考えて備えておく」という心構えが必要になります。

レコードからCD(コンパクトディスク)に時代が移ったときに、レコードに関連する業界では「レコード針の教訓」が話題にのぼりました。CDは今ではコンピュータ用の“記憶媒体”(CD−ROM)として認識する人が多くなりましたが、初登場(1982年)のときはレコード代わりの“記録媒体”でした。

CDのテスト版がドイツで製造されてから、わずか1年のことであったので、まだ一般販売は先のことと思って、レコードの音質を高めることに注力している人も少なくない状況でした。

レコードで最も音質に差が出るのはレコード針で、使い始めた当日から摩耗が始まり、音質は低下する一方でした。だから、摩耗を減らすことに一生を捧げた研究者もいて、最高品質のレコード針が開発できたときには、1982年10月1日のCDの日本の発売日を過ぎていたという話です。

そのような人生を賭けて取り組んできたことの需要がなくなる、まるで足場が消えた(足元が失われた)ようなことにならないように、いかに情報収集が重要かということを伝えるときの逸話として使われています。

クラシック音楽の世界に仕事の一環として(趣味ではなくて)大学生の時から関わってきましたが、その時から7年後の大転換でした。レコード会社を回ってLP盤を集めてきて、これを聴いて評論の下原稿を書くというゴーストライターのような仕事でしたが、持って帰るのがコンパクトなCDになって随分と軽く、楽になりました。

CDの記録時間は74分42秒が当時は限界とされていて、これは世界的な指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンがベートーヴェンの「交響曲第九番」が収まるようにと希望したことから決まったとされています。

同じ曲であっても指揮者、レコード会社(CD会社ではなく今でもレコード会社と呼ぶ)でも違っていて、この話は伝聞ではなく、カラヤンから直接言われたソニーの担当者から聞いたことです。
(このことはソニーの社史にも書かれています)
〔小林正人〕

小さなネットワーク(パーソナルネット)をつないで大きなネットワーク(インターネット)としていくことを「インターパーソナルネット」と表現して、さまざまなビジネス展開が行われています。

その一つとして取り上げるのは、私が関わってきた記念日ビジネスです。記念日は、今でこそ365日(閏年の場合は366日)で記念日のない日はなく、1日に10以上の記念日が存在している日も珍しくありません。

記念日は終戦直後からあったと伝えられる中、記念日が国民的に意識されるようになったのは1987年のことです。歌人の俵万智の第一歌集『サラダ記念日』が発売され、その中の「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」にちなんで、7月6日がサラダ記念日と制定されて、さまざまな関連イベントが開かれました。

当時は農林水産省が農産物の販売促進に記念日を使い始めていて、食品業界(製造、流通、販売)も記念日を設けるようになっていました。初めの頃は食品に関わりのある日が採用されることが多かったのですが、だんだんと語呂合わせが増えてきました。

語呂合わせのほうが印象に残りやすいということもあり、例えば納豆の日(7月10日)、豆腐の日(10月2日)が注目されました。

記念日を用いた販売促進キャンペーンはメディア活用が大切で、健康をテーマにしたテレビ番組が1987年に始まると、その中で「今日は何の日」が人気コーナーとなり、健康に関わる記念日、食品に関わる記念日が次々に登場しました。

広告代理店を通じで、この記念日の情報を提供していたこともあって、2002年に納豆の日キャンペーン、2003年に豆腐の日キャンペーンが始まったときには、さまざまな形で関わり、各局のテレビ番組をはじめとしたメディア対応をさせてもらいました。

記念日は、業界や地域の小さなネットワークから始まったものも、メディア対応を重ねていくことで大きなネットワークにしていくことができる面白いビジネスツールとなっています。
〔小林正人〕

前回のinpane6は、家元制度が独自のネットワークをビジネス化するモデルとなるということを書いて、その内容は別の機会に伝えるということで終わりました。

家元制度は、技能文化の一流一派の主催者である家元が、免許状の発行権を独占して、文化社会を構成するものを指しています。家元から技能に応じて段階的に高度化する免許が弟子に与えられて、弟子は免許によって弟子をとって教える権限が分与されます。

ビラミッド組織と指摘されることを嫌う家元(宗家)もいるものの、いかに高弟であっても、免許状は家元以外からは発行されない仕組みです。

家元よりも優れた技能があったとしても、家元に変わることができない、ピラミッドのトップには成り代わることができないのは、ピラミッド組織そのものです。これが受け入れないという高弟がいたら、独立して家元制度を新たに作り上げるほかないということです。

家元制度というと茶道、華道などが有名ですが、家元という言葉が初めて登場したのは正徳3年(1713年)のことで、法隆寺、東大寺、薬師寺などへ成人後僧となる少年を入寺させる権利を所持する家を指していました。

今の時代は技能の上下だけでなく、新たな情報、新たな発想でも優位に立つことができるようになり、他にはないこと、他では学ぶことができないことを身につけることができるようになっています。

既存の家元制度(ピラミッド組織)に参加することよりも、自らが主体となって“シン・家元制度”を創出することができるようになっています。家元制度に参加しなければ、高弟であっても弟子を集められなかった時代から、今は一転して情報発信を自由にできるようになり、これを活用することで独立も難しくなくなりました。

他人を稼がせるのではなく、自分が稼ぐようになるという発想ができやすくなりましたが、これは家元制度だけでなく、アメリカのDSA(Direct Selling Association:訪問販売協会)の仕組みからも学んできました。これを伝えるチャンスが訪れています。

アメリカの制度であって、納得がいかないまま続けている人も多いのが事実ですが、日本特有の家元制度と組み合わせた仕組みを自分で構築していこうという人も増えてきています。
〔小林正人〕

「かいわれ大根の日」日本かいわれ協会が、かいわれ大根のPRを始めた9月と、1と8を組み合わせるとかいわれ大根の姿に似ていることから制定。

毎月18日:「防犯の日」(セコム)、「おにぎりの日」(中能登町)

母方の従兄弟は5人いますが、その中で母親の実家の寺院で生まれたのは私だけです。事情があって2歳の後半から3年間、また寺院で親元から離れて暮らすことになりました。母親は3姉妹の次女で、長女の夫は公務員を務めながら将来的には寺院を継ぐことになっていたので、私は外孫です。

そのために自分から興味を示すまでは、朝のおつとめの読経も寺院の行事も強要されることはなく、有り余った時間を気軽に過ごしていました。

小さな寺院であったので、他の宗派の寺が運営している保育園に通いましたが、それも集団生活を経験してみるのもよいだろうという祖父の考えで、少しだけ体験入園のような感じで、まさに経験しただけでした。

普段は外孫であることを意識することはなかったものの、寺院の行事があるときには内孫の従兄弟も親とともに参加していて、そのときには役割の違いを感じていました。寺院の行事は後を継ぐ人がメインで、本堂での位置も来客の接待などの役割も明らかでした。

それに対して外孫は、どうしてもやらなければならないことではないものの、やってくれたら助かるという程度の役割で、寺院に続く長い石段の掃除や履き物の整理、台所の手伝いといった隙間の仕事を、誰に言われるわけでもなくやっていました。

隙間を見つけて、つなぎ役に徹して、自分の役割を探していく姿勢は、子どものころに刻まれたことで、それが学生時代も社会人になってからも自分の行動を決める判断材料になりました。

素晴らしい仕事先であっても、自分の役割がなければ参加することはできないわけで、隙間に徹することで参加が可能で、その隙間が困っていることや誰もやってくれないことだと喜んで迎え入れてくれます。

新たなことに参加しようとする人の中には、これまでのメンバーをライバルと考えたり、取って代わろうとする人もいるのですが、それでは受け入れてもらえない、弾き出されることにもなります。

新たな人材を呼び込もうとする企業や団体、自治体や地域などでは、やってきた人材が既存の人の仕事を奪うようだと、初めは親切に接していても徐々に冷たく接するようになります。最後は追い出そうとして、その人が持っている能力や実績だけをいただこうということも起こります。

そのような苦い経験をした人を数多く見てきただけに、決して追い出されない仕事を始めること、新たな仕事を作り出すことに力を注いできました。

その成果の一つが、病院栄養管理のHDS研究所での他の誰も気にかけなかったサプリメントの研究で、保健機能食品等のアドバイザリースタッフ制度の厚生労働省の委員会に研究所の先輩とともに呼ばれることになりました。

サプリメントは臨床栄養の敵だと考えて、先輩方が委員を降りたときに私だけが残ることになりました。そこで知り合った国立健康・栄養研究所の理事長から同研究所がアドバイザリースタッフの資格認定講習を始めるときに法律講師として招聘されるきっかけにもなりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省から、「健康づくりのための睡眠ガイド2023」が発表されました。

以下に、「健康づくりのための睡眠ガイド2023」の「運動、食事等の生活習慣と睡眠について」の「よくある質問と回答」を紹介します。

〔よくある質問と回答〕
Q 夜仕事帰りにジムに行って運動をしても眠りに影響ありませんか?

A 就寝前1時間以内の激しい運動は夜の眠りを妨げる可能性があります。ジムでの運動はできる限り就寝の約2〜4時間前までに終え、床に入るまでの間にリラックスする時間を設けると良いでしょう。

Q 家での家事や買い物の往復で歩くだけでも運動になりますか?

A 歩行も立派な有酸素運動です。しかし、室内の移動だけでなく、室外で少し早歩きするような習慣を意識すると良いでしょう。買い物、洗濯、掃除など生活活動を含め、相対的な身体活動量を増やすことが良い睡眠につながります。

Q どのような運動が睡眠改善に最も効果的でしょうか?

A 睡眠改善に最も効果的な運動の種類は現時点では特定されていません。有酸素運動も筋力トレーニングも、ヨガなどの運動も効果があります。ご自身にとって。楽しみながら継続できそうな運動を中心に、異なる種類の運動を組み合わせるのも良いでしょう。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省から、「健康づくりのための睡眠ガイド2023」が発表されました。

以下に、「健康づくりのための睡眠ガイド2023」の「運動、食事等の生活習慣と睡眠について」の「規則正しい生活習慣で良質な睡眠を、日中の活動と夜間の休息・睡眠にメリハリを」を紹介します。

〔規則正しい生活習慣で良質な睡眠を、日中の活動と夜間の休息・睡眠にメリハリを〕
良い睡眠のためには、まず規則正しい生活を送ることを心がけましょう。規則正しい生活習慣は、主観的な睡眠の質を高めるだけでなく、日中の眠気を改善します。

一方で、夜ふかし、不規則な就寝時刻、不規則な食事のタイミングなどの生活習慣の乱れは、睡眠不足を招くだけでなく、体内時計の遅れや乱れ、主観的な睡眠の質の低下を招きます。

長期的には、うつ病などの精神疾患の発症リスクや、死亡リスクを高める可能性も報告されています。規則正しい生活習慣を維持し、日中は明るい環境でできるだけ活動的に過ごすとともに、夜間はやや暗い環境でゆったりとリラックスして過ごし、1日の睡眠・覚醒リズムにメリハリをつけましょう。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕