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「いちごの日」全国いちご消費拡大協議会が、いち(1)ご(5)の語呂合わせで制定。

「ホームセキュリティの日」セコムが1981年1月5日に発売したホームセキュリティシステムが2014年に100万軒を突破したことから制定。

毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

私の足場がしっかりしないと感じさせるような行動は、物心がついたときから始まったようです。次々に巡っていく中で、自分に相応しい居場所を見つけ、その居場所で自分の目的を達成させていくという感覚もありました。

しかし、自分の活動は、ずっと動き続ける中で達成できるのではないかと感じるようになり、これについては前々回(日々修行126)、前回(日々修行127)で触れることができました。

自分の半生(と言うには、あと3か月で古希でしかありませんが)を振り返って、明日からの新たな歩みの原動力に変えたいと思っています。

物心がついた時期に親元を離れ、やっとできた近所の友達と離れて、親の転勤先で小学校に入学して、4年生のときには都市部の小学校に転校、5年生のときに田園地域の小学校に転校して中学1年生までいました。その後は新潟県内でも150km以上も移動して中学卒業まで家族と一緒でした。

その後は親元を離れて父親の出身地の柏崎市(今は原子力発電所の街)の高校で学び、東京の大学で学び、それから岡山に移住するまで44年間、大都会暮らしをしていました。

親戚づきあいも少なく、ずっと一人で暮らしてきたようなものだったこともあって、行く先々で人脈を作り、それを大切にするという今の形は、そのときから身についた行動と感じています。

私の考えや行動は、居場所が定まらない転々としてきたことが影響していて、仕事のこだわりがなく、常に新たな関わりを持って進めてしようとするところがあります。その新たなことを説明しているときに、「次はどこに行くのか」と聞かれることがあります。

“どこに”というのは、話が済んだ後に行く場所を聞かれているのではなくて、これから何をするのか、そのために居場所を変えるつもりなのか、という意味で聞かれることがほとんどです。

たまには、その日の予定を聞かれることもあるのですが、岡山に居続けるのか他のところに移住するのか、新たな仕事を始めるために移動するのか、という意味での質問です。

これまで住んだところを思い出して書いてみました。(地域名は当時)

1 誕生地の新潟県出雲崎町(母の実家の寺)〜6か月(以下、新潟県内)
2 父の勤務地(警察の駐在所)の松之山村(松之山温泉)〜2歳
3 松之山村東川(駐在所)〜2歳
4 出雲崎町(母親の実家の寺)〜5歳
5 牧村(駐在所)〜8歳
6 見附市(父親の勤務地は警察署)〜9歳
7 小須戸町(派出所)〜10歳
8 小須戸町(派出所の移動)〜13歳
9 糸魚川市(父親の勤務地は警察署)〜15歳
10 柏崎市(叔父の家)〜16歳
11 柏崎市(親戚の家)〜17歳
12 柏崎市(アパートから高校通学)〜18歳
13 東京都中野区(大学で上京、アパート)〜19歳(以下、東京都内)
14 中野区(高校の同級生の親戚の店の寮)〜20歳
15 中野区(中野坂上のアパート)〜21歳
16 豊島区(東長崎のアパート)〜22歳
17 武蔵野市(吉祥寺の団地)〜26歳
18 渋谷区(原宿のマンション)〜29歳
19 渋谷区(原宿の一軒家)〜47歳
20 港区(神谷町のマンション)〜51歳
21 港区(赤坂のマンション)〜61歳
22 岡山県岡山市(東区瀬戸町万富)〜64歳
23 岡山市(東区瀬戸町光明谷)〜現在

これからは岡山での活動に注力することとしたので、移動したとしても県内だけ、できれば岡山市内、それも人脈を作り上げてきた東側のつもりです。

活動の拠点は岡山市内の限られたところであっても、ひょっとすると住むところと活動するところは違っているのではないか、とも感じているところです。これまでは職住一致の活動を、ずっと続けてきたことから出てきた発想です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

ウォーキングは有酸素運動であり、脳には酸素が多く必要であることから、ウォーキングは脳の健康のための最も手軽な方法と言われています。それを裏付けるような研究が数々行われています。

日本神経学会から『認知症疾患治療ガイドライン』が発表されていますが、認知症の予防効果があることとしてウォーキング、サイクリング、階段の上り下りなどの有酸素運動があげられています。

運動をすることによって、生理活性物質が増えることが確認されています。

その運動をすることによって増える生理活性物質としては、ホルモン(副腎皮質刺激ホルモン、成長ホルモン、テストステロン、エンドルフィン)、神経伝達物質(アセチルコリン、ドーパミン、トリプトファン)、神経栄養因子(BDNF)、酵素(AMPキナーゼ、KAT)、生理活性物質(t−PA)、血管新生因子(VEGF)が知られています。

これらの物質は運動時に安静時の1.2〜1.5倍も増えていて、脳内でも同様に増えていると考えられています。

アセチルコリンには脳で記憶を司る海馬の神経細胞新生促進があり、神経細胞が増えることによって記憶力を改善させる作用があります。神経栄養因子のBDNFにも同様の作用が認められています。

ドーパミンは意欲や活力を向上させる脳内ホルモンで、アミノ酸のトリプトファンには神経伝達物質のセロトニンを増やす作用がありますが、セロトニンは抗うつ作用があることから抑うつ状態を改善させる作用があります。

有酸素運動をするとアルツハイマー型認知症を引き起こすタンパク質であるアミロイドβが減ることが確認されています。この変化は、有酸素運動によって血管を新たに作る血管新生因子が脳内で増加して、血流が盛んになることによって起こると考えられています。

AMPキナーゼには細胞にあるインスリン受容体の感受性を高める作用があり、全身の細胞に存在しているものの特に筋肉から多く分泌されています。

有酸素運動をするとエネルギー源としてのブドウ糖の消費が増えることがあげられますが、それに加えてAMPキナーゼの作用もあり、より血糖値が下がりやすくなるわけです。AMPキナーゼは有酸素運動を始めてすぐに増え始めるので、短い時間の有酸素運動でも効果があります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

高齢になると便通がスムーズにいかなくなる例が多くなります。その理由として、押し出す力の低下、食事量の減少、食物繊維の減少、運動不足などが、よくあげられています。

食べる量が減れば、それだけ便になる量が減り、食品に含まれる食物繊維が減ると腸壁が刺激されにくくなって、これが便通を悪くしていることは普通に考えられることです。

便の総量のうち70%ほどは水分で、これを除いた3分の1が食べ物のカス、3分の1が剥がれた腸粘膜、そして残りの3分の1が腸内細菌となっています。排出される腸内細菌には生きているものの他に、その死骸も含まれています。

腸内細菌のうち善玉菌が多いほど発酵によって便は多くなり、軟らかくなって通過しやすくなります。善玉菌は腸内が酸性環境であることによって、増殖しやすくなり、発酵も進んでいくようになります。

年齢を重ねると胃液が減るようになり、また胃液の酸性度が低下して消化力が低下していきます。日本人は消化液が多く必要になる食品をあまり食べてこなかったこともあって、高齢になると消化に時間がかかるようになり、脂肪が多い肉が食べられなくなるという変化が起こります。

胃液の酸性度は胃の中だけでなく、腸管内の酸性度にも影響を与えていることから、高齢者は腸管の酸性度の低下によって、善玉菌が増えにくくなっていきます。これは加齢によって普通に起こることです。

もう一つの理由は、自律神経のバランスの変化です。自律神経には心身を亢進させる交感神経と、逆に抑制させる副交感神経があります。腸の働きを高めているのは副交感神経で、腸からの吸収も蠕動運動も排泄も副交感神経が司っています。その逆の働きをするのは交感神経です。

高齢になると、交感神経の働きは低下しないのに対して、副交感神経の働きは低下します。そのために腸の働きが低下してしまうのです。これは仕方がないことなので、善玉菌を増やす食べ物の摂取、善玉菌が増えやすい温かな腸内環境を保つように、できるだけ身体を動かして血流をよくしておくことが大切になります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「石の日」狛犬や地蔵などの石のものにお参りすると願いがかなうとされることから、い(1)し(4)の語呂合わせで制定。

毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

「どこから来て、どこに行くのか」というのは、ポール・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』(1897〜1898年作成)から拝借した言葉です。

ゴーギャンが太平洋中心のタヒチで描いた代表作のタイトルですが、心に響く言葉でもあることから多くの楽曲の歌詞に一部が使われています。その数は日本だけでも70作品を超えています。

有名なところでは、松任谷由実の『経る時』の「どこから来て、どこへ行くの」、石川さゆりの『歌、この不思議なもの』の「どこから来て、どこへ行くのか」、浜田省吾の『境界線上のアリア』の「どこから来て、どこへ行くのか」、吉川晃司の『雨のTraveller』の「どこから来て、どこへ行くのか」、加藤登紀子の『川は流れる』の「どこから来て、どこへ行くのか」、レミオロメンの『Tomorrow』 の「どこから来て、どこへ行く」などで、知っている曲が外れているという方もいるかと思います。

書籍では『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(宮台真司著)には、表紙にゴーギャンの『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』が使われています。

ゴーギャンの絵画のタイトルは、カトリックの公教要理の中の三つの問いからヒントを得たもので、①人類はどこから来たのか、②人類はどこに行こうとしているのか、③どのように人類は進歩していくのか、の三つが問われています。カトリックの公教要理は問答形式で書かれたキリスト教信仰の教義書です。

ゴーギャンは娘を亡くし、家からの立ち退き、多額の借金、健康状態の悪化などが続き、失意のもとに訪れたタヒチで、ゴールのない人生について苦闘する中で描き上げました。

その苦闘に比べれば、問題ならないほどの人生しか過ごしてこなかった身の私が語るのも烏滸(おこ)がましいことですが、ゴーギャンの絵画のタイトルからは「行くところまで行こう」という覚悟を感じています。

ゴーギャンの絵画のテーマと、楽曲や書籍に使われる言葉との最大の違いは「我々は何者か」という部分で、この言葉にこそ考えるべきところがあります。これまでに日本人が築き上げてきた価値観が足下から揺らいでいる今、自分は何者か、つまり自分の存在意義と価値を確認することが重要で、そのために過去を振り返り、社会を再構築していくために力を注いでいこうという湧き上がる意志を示しています。

これを自分のこととして受け止め、常に「自分は何者か!?」と問うために、『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』を唱え続けています。

そのことは私が関わっている活動にも、好影響を与えていることを感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

同じことを話していても、同じ意味で話しているとは限らないというのは、どこの地域にもあることですが、その極端な地域とされるのが京都だというのは、ほぼ定説になっています。

言葉の通常の意味で捉えていると、失敗をしかねないということで、京都の人との付き合いはビジネスを含めて注意が必要だというアドバイスをする人は多く、これをネタにした書籍や雑誌記事、ネット情報も多数あります。

京都で食事をしていて、「おいしそうに食べはりますな」と言われたとき、どう考えたらよいのかということですが、額面どおりに“おいしいものを、おいしく食べている”、そのことがわかってもらえて、喜ばれていると思ったら大間違いということもあります。

「おいしそうに食べはりますな」は、食べ方が雑、もっと上品に食べてほしい、という意味合いで、中には「音をたてて食べるな!」というキツイ物言いを、やわらかな言葉づかいで言っているということもあるのです。

京都は観光都市であって、地方からの客で成り立っている店も多くあります。また、歴史がある街に並ぶ商店は地元の人の経営が多いとしても、そこで働く人は他の地域から来ている人ということも少なくありません。

「おいしそうに食べている」という指摘が、すべて裏の意味合いで言っているということはなくて、それは他の地域から来ている人に対しての、京都特有とされる“いけず”の表現ではないはずです。

しかし、「郷に入っては郷に従え」ではないのですが、一定の雰囲気の中で仕事をしていると、だんだんと“郷の人”の雰囲気を身につけていってしまうことも往々にしてあります。

京都の周辺に住む人は、京都人との交流を若い時分からしてきているので、京都で仕事をしているだけでも“郷に従った”雰囲気を醸し出しがちです。こういったこともあって、京都では本当においしい料理でも「おいしそうに食べている」と思われないように、気をつかってしまいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害は医学的な診断がされますが、それは過去の例に照らし合わせて、それに当てはまるか、その状態の程度によって判定されています。過去の例が豊富にあって、その特徴が一定であれば的確に判定することは可能です。

ところが、発達障害の診断は長い歴史があるものではなく、また発達障害の特徴とされることも個人の性格や持って生まれた特性によってばらつきが大きく、専門医でも判断に迷うことがあります。

専門医というのは精神・神経科の医師というだけでなく、子どもの特徴、成長段階による差の振れ幅がわかっていて、さらには発達障害の子どもを、どれだけ診てきたかで判断されることです。

児童発達支援施設で実際にあったことをリサーチしていくと、発達障害と診断された子どもを預かってみて、どうも違っているのではないかと疑問を抱いている発達支援の専門家もいます。

私が関わっている施設の例ですが、発達障害があるとして児童発達支援施設で改善指導を受けに来ている子どもの弟を、保護者が連れてきたことがあります。その行動から弟のほうが明らかに発達障害の特性が見られることから、専門医の診断をすすめたのですが、保護者が認めないということもありました。

発達障害の特性としてあげられることの中には、日常生活の中で当たり前の行動の範囲とされることもあります。その子どもの普段の行動がわからない状態で、判定すると間違いかねないことも多々あります。

また、特性は日によっての差、時間によっての差、対面する人による差もあって、判定されたときには、いわゆる“調子が悪い状態”であることも少なくありません。そこまで保護者が伝えた上での判定なのか、そこは確認する必要があります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ひとみの日」眼鏡・コンタクトレンズ業界が、ひ(1)とみ(3)の語呂合わせで制定。

毎月3日:「くるみパンの日」(カリフォルニアくるみ協会)、「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

東京にいたときには、さまざまな団体の会員として参加していましたが、その中の一つの日本文芸家クラブでは理事を務めていました。

そのときに、会報誌の編集を担当することになり、会員の方々を訪ねたり、締め切りを伸ばしてもらおうとして酒の席に招かれることもあって、作家の先生と会う機会が多数ありました。

同時期に理事を務めていたペマ・ギャルポさんは、私より2歳年上ということで、会を離れても親しく付き合わせてもらいました。ペマさんはチベット出身で日本に帰化した方で、チベット文化研究所所長、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当代表も務めていました。

懇親会などで一緒になったときには、ダライ・ラマと生まれ変わりの話を周囲の方にしていましたが、よほどチベット問題に関心がある人でないと理解してもらえないことを嘆くこともありました。

私はチベットについて深く学んだことはないのですが、出身校の東洋大学の図書館には山のような仏教関係の書籍の中に、ダライ・ラマに関する書籍も多数ありました。全部を読んだわけではないものの、チベット仏教の化身ラマのことも、チベット語で大海を意味するダライと、師を意味するラマということも知っていました。

チベット仏教の守護尊は観音菩薩で、ダライ・ラマは観音菩薩の化身として転生系譜とされています。現代のダライ・ラマが没すると託宣などによって次代のダライ・ラマが生まれる地方や特徴が予言され、そこで子供が探されて、本当の化身であるかを特徴や子どものときの癖、過去の記憶によってダライ・ラマの生まれ変わりと認定されます。

現在のダライ・ラマは14代で、初代のゲンドゥン・ドゥプパ(1391〜1474年)から500年以上は続いていることになります。

ダライ・ラマ14世の後継は中国政府が認定する、といった話は、ここでは触れないことにしますが、もう一人の化身ラマであるパンチェン・ラマ10世は中国政府によって認定され、インドに亡命したダライ・ラマ14世の代わりを務めているというような話は、別の機会に書かせてもらいます。

過去の知識に、ペマさんから得た知識を合わせて、自分なりの行くべき先を考えました。転生系譜は望むべくもない世俗の私ができることとしたら、死んでも残る世の中の役に立つことを作り上げることだと考え、その実践は、もうじき古希という今も続けているつもりです。

自分がするべき役割は、行く先々で徐々に船のサイズが変わり、最後には大きな船で大海を進んでいくようなものではないか、とも思っています。

自分が住む場所も仕事も行く先々で変えながら歩んできたことと、大海師(ダライ・ラマ)になぞったことではあるものの、大海に漕ぎ出した船が、どこに行くのか、それを知ることができる日を楽しみにしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕