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「黒霧島の日」霧島酒造が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒の日」大口酒造が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒あめの日」春日井製菓販売が黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒酢の日」ミツカンが黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒豆の日」菊池食品工業(東京都板橋区)が黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒にんにくの日」青森県黒にんにく協会が黒の語呂合わせで制定。

「クロレッツの日」モンデリーズ・ジャパンがク(9)ロ(6)レッツの語呂合わせで制定。

「生クリームの日」中沢乳業がク(9)リーム(6)の語呂合わせで制定。

「浅田飴の日」浅田飴が固形浅田飴ク(9)ール(6)Sの語呂合わせで制定。

「甲斐の銘菓くろ玉の日」澤田屋(山梨県甲府市)が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「クロレラの日」サン・クロレラがク(9)ロ(6)レラの語呂合わせで制定。

「鹿児島黒牛・黒豚の日」鹿児島黒牛黒豚銘柄販売促進協議会が黒(96)の語呂合わせで制定。

「のどぐろ感謝の日」日本海(島根県出雲市)が9月はのどぐろ漁が始まる時期で、ぐ(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒舞茸の日」大平きのこ研究所(埼玉県飯能市)が黒舞茸のく(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「ブラックサンダーの日」有楽製菓(東京都小平市)がブラックサンダーにちなんで黒=く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「クロモジの日」養命酒製造のクロモジ研究会がク(9)ロ(6)モジの語呂合わせで制定。

「生クリームの日」中沢乳業(東京都港区)がク(9)リーム(6)の語呂合わせで制定。

「ぐるぐるグルコサミンの日」世田谷自然食品がグ(9)ル(6)の語呂合わせで制定。

「キョロちゃんの日(森永チョコボールの日)」森永製菓がキョ(9)ロ(6)の語呂合わせで制定。

「飴の日」松本飴プロジェクトが日本書紀の神武天皇記に9月6日に飴を作ったと推察される記載があることから制定。

「スポーツボランティアの日」日本スポーツボランティア・アソシエーションが福島・復興五輪:オリ・パラ後夜祭の開催予定日から制定。

毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)

3歳を前に親元を離れて、母親の実家の寺院で暮らすことになった経緯は前回(日々修行6)書きましたが、その寺院は新潟県出雲崎町という漁師町にあり、近所の人も檀家もほぼ漁師というところでした。

江戸時代は天領として佐渡島から金を運び入れ、江戸まで運ぶ中継地のようなところで、江戸時代のほうが人口が多かったというところです。寺院は山の中腹にあって、石段を登るのに5分もかかるようなところで、遠方に佐渡島が見えました。

出雲崎町は良寛和尚(江戸時代後期の曹洞宗の僧侶)の生まれ在所で、名主の息子として生まれましたが、人付き合いが苦手で、18歳のときに出家して、その後は30年にもわたって全国を旅しながら修行を続けました。その後は故郷の近くの山寺の五合庵で暮らしています。

寺院に住むようになって初めて祖父の住職から渡された絵本には、良寛和尚の手まり歌やかくれんぼ、竹の子の逸話が描かれていました。

竹の子の逸話というのは、五合庵の縁側の床を竹の子が押し上げていることを知って、納屋からノコギリを持ってきたのですが、竹の子を切るのではなく、床を切り抜いて竹の子を伸ばしてやったという話です。

これには続きがあって、それは絵本ではなくて、後に書物で知ったことですが、竹は成長を続けて天井まで届き、今度は竹を切るのかと周りが見ていたら、天井を切り抜いてあげたということです。

雨が降ると水浸しになってしまうのですが、「雨で濡れた床は拭けばよい、竹が雨を浴びて喜んでいる」と言ったといいます。

幼いときに良寛和尚の諸国行脚の話を聞いて、最も長く(約12年)修行したのは備中玉島の円通寺で、そこまで歩いて行ったということを祖父から聞いて感心したものです。

よくよく考えれば当時は歩くしかなかったわけですが、出雲崎町から倉敷市玉島までの700km以上の道のりは子ども心には驚きの移動であり、歩くだけでも厳しい修行だと映りました。

曹洞宗の開祖の道元禅師の教えでは、修行に終わりはなく、生涯続けなければならないということを後々に知り、母親の実家が浄土真宗でよかったと感じたのですが、その考えを改める時期が私にも訪れました。

それは東洋大学で学んだ4年間で、インド哲学の書籍が山のようにあった図書館に毎日のように通って、余った時間のほとんどを書籍と格闘する中で、各宗派の違いを知ったときのことでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「初心忘るべからず」という言葉は、上司が部下に、目上の者が目下の者に話す言葉と思っていたのですが、最近では下の立場の人が上の立場の人に向かって口にすることも見られるようになってきました。

それは本来の意味の使われ方ではなくて、誤った使われ方で、その例として記録に残しておきたいような内容です。

「初心忘るべからず」は、能楽の大家の世阿弥が残した言葉で、初心は新しい事態に直面したときの対処方法、試練を乗り越えていく考えを意味しています。対処した経験を忘れてはいけないという意味であり、いかに経験を活かすべきかということを示しています。

こういったことは常識と考えたいところではあるのですが、若者の中には「初心の勢いが年齢を重ねると失われてくるので、勢いがあった時期を忘れてはいけない」という意味で捉えている人もいます。

そう思っているから、“初心を忘れた”上司に愚痴や苦言を言うことにもなるのですが、「初心忘るべからず」は能楽では若年のころに学んだ芸や、その当時の未熟だったこと、時期での初めての経験を忘れてはいけないという教えの言葉です。

中には上司であっても、意味をはき違えていることもあって、ある自治体の長が「物事に慣れてくると慢心しがちであるので、始めた時の新鮮で謙虚な気持ちを忘れてはならない」という意味で訓示していました。

始めたころの謙虚な張り詰めた気持ちを常に失ってはならないというところまでは合っていたとしても、その先にある最初に思い立った一念を忘れてはいけないという意味が抜けているようです。

この「初心」について、これから「忘れる脳力」のテーマに沿って書き進めていくこととします。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「石炭の日(クリーン・コール・デー)」クリーン・コール・デー実行委員会がク(9)リーンコ(5)ールの語呂合わせで制定。

毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

私が生まれたのは母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)で、実家に帰って出産するというのが普通に行われていた時代でした。父親は警察官になったばかりのときの赴任地が母親の実家の近くであったことから、寺院に下宿をしていたということです。

佐渡島が遠方に見える海岸沿いの町から、南部の山奥の地域で暮らすことになり、70kmほどを移動しました。そこは松之山温泉が有名な村ですが、当時の警察最大の不祥事が1958年の1月20日に起こりました。

松之山村の先の東川地域の駐在所の22歳の巡査が村民3人を射殺するという後に松之山事件と名付けられた事件が起こりました。父の赴任地から最も近い駐在所であったことから、第一報を受けて父親が現場に原付で駆けつけたところ、巡査は拳銃自殺していました。

その時のことを後に父親から聞きましたが、警察官になって初めて拳銃に実弾をこめたとのことです。

事件の日は小正月で、隣の部落へ私服で年始回りに行き、酒に酔っての帰途に被害者の家に寄り、些細なことで口論になり、駐在所に引き上げたもののおさまらず、制服に着替えた上で拳銃を持って訪れ、凶行に及んだといいます。

些細なことというのは、被害者は家族とともにウサギ汁を作って酒を飲んでいましたが、密猟したウサギであることがわかり、巡査が狩猟法違反をとがめたことでした。それに反発した村民が、巡査の個人的な行動をなじったことが原因だったと当時の地元紙にも書かれています。

当時は独身の巡査が駐在所に勤務することがあり、松之山事件をきっかけにして、駐在所は既婚者が赴任することが全国的に決まりました。

父親は既婚者であり、最も現場に近いところに勤務していて土地勘もあったことから、父親が赴任することになりました。住民の不信感は強く、制服を見ただけで住人は家に隠れる、子どもは泣き出すという状況で、そのようなところで、まだ2歳の私を育てることは難しいということになり、母親の実家に預けられることになりました。

後に母親から聞いたところでは、父親は毎晩、1軒ずつ村民の家を訪ね、風呂をいただき、夕食を一緒に食べるということを2年間繰り返して、やっと不信感を払拭することができたということです。

これまで、親元を離れて暮らすことになったのは、弟を妊娠して、2人の世話をするのは大変だったから、ということを公式発表的に伝えてきましたが、これが実際のことです。

まだ3歳になる前のことでしたが、そのような雰囲気はなんとなく感じていて、寺の祖父母からも叔母からも褒められるほど、寂しいとか、わがままなことを言わない子どもだったと聞いています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

テーマとしてあげている「微表情」とは何かということがわからないと、表情の変化に隠された感情の変化も理解しにくくなるということで、表情を3つに分けて紹介します。

1つ目は「マクロ表情」(macro expressions)で、日常的なことで目にする表情を指しています。この表情が現れる時間は、0.5〜4秒ほどとされています。マクロ表情は、ほとんどの人が見抜くことができます。

expressionsは感情や考えを表現する方法や手段のことで、顔に現れる感情は「facial expressions」とも呼ばれます。

わかりやすいところでは、怒りの感情は眉が中央に寄る、上まぶたが引き上げられる、下まぶたに力が入る、閉じられた唇が上下につぶされるといった大きな変化が組み合わさって起こります。

2つ目は「微表情」(micro expressions)で、意識する(意識的)意識しない(無意識的)に関わらず感情を隠したり、抑制しようとするときに表れる表情で、感情に関わる、すべての表情筋が同時に、そして瞬時に表れるという特徴があります。

その時間は0.2秒以下とされます。0.2秒というと、かなり短いと感じますが、まばたきの時間は0.1〜0.2秒であるので、瞬間といっても絶対に見抜けない時間ではありません。

3つ目は「微細表情」(subtle expressions)で、微表情よりも感情の反応が弱いときに見られるもので、時間の長さは限られているものではなく、微表情のように一瞬のこともあれば長めの時間となることもあります。

怒りの感情を例にすると、眉が中央に寄る、上まぶたが引き上げられる、下まぶたに力が入る、閉じられた唇が上下につぶされるといったことの一つだけ、もしくは二つが表れることがあります。

これらの表情は、それぞれの特徴を学ぶのではなく、微表情を知ることで、すべてが判断できるようになるとされています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

健康を維持・増進させるための基本は栄養であり、その栄養バランスというと、糖質、脂質、たんぱく質に、ビタミン、ミネラル、食物繊維を加えた六大栄養素が基本とされていますが、私たちは少し違った目線から考えています。

それは歯の形と本数から噛むことの重要さを考えることで、歯のバランスから考えています。

歯は歴史的に食べてきたものに相応しい形と本数になっています。人間の歯(永久歯)は上下ともに前歯(門歯)が4本、犬歯が2本、臼歯が8本で、上下合わせて32本となっています。前歯は野菜や果物を切る歯であるのと同時に、穀類や豆類などを粗く噛んで細かくする役割をしています。犬歯は肉や魚を切り裂く役割があり、臼歯は粗く噛んだものをすり潰す役割があります。

これに対して、犬の歯は42本あって、切歯(前歯)12本、犬歯4本、前臼は16本、後臼歯10本で構成されています。上下の歯の位置がずれていることから臼歯も刃物で切るように働き、肉類を食い千切り、噛み砕くのに適した形状となっています。

草食動物の牛は上側の切歯と犬歯がなくて、上側に12本、下側に20本ある歯は穀類や野菜を食べるのに適した形状の大きな臼歯になっています。

人間の場合には雑食であることから、草食動物と肉食動物の両方の特徴がある形状となっていて、すべての食品を食べてきたことで現在の形と本数になっています。これは原人から進化したときに雑食になったからだとされています。

猿の歯は人間と同じく前歯、犬歯、臼歯の組み合わせで合計32本となっているのですが、歯の形は犬歯が大きいなど人間とは少し変わっています。

この違いは人間が、すべての食品を食べることができる生物の頂点に立ったからで、雑食に相応しい形に変化してきた結果といえます。健康の基本となるのは、歴史的に食べてきたものと同じ食生活をすることで、それだけでは不足するものを補っていくことです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「串の日」味のちぬや(香川県三豊市)が、く(9)し(4)の語呂合わせで制定。

「串カツ記念日」日本串カツ協会(大阪府大阪市)が、く(9)し(4)と、串カツを食って(9)幸せ(4)に、の語呂合わせで制定。

「くじらの日」日本鯨類研究所が、く(9)じ(4)らの語呂合わせで制定。

「おおいた和牛の日」大分県豊後牛流通促進対策協議会が豊後牛100年を記念する2018年9月4日に県内統一ブランド・おおいた和牛を発表した日にちなんで制定。

「供養の日」供養の日普及推進協会が供(9)養(4)の語呂合わせで制定。

「マッサージクッションの日」アテックス(大阪府大阪市)がマッサージクッションの普及を目的にクッ(9)ション(4)の語呂合わせで制定。

毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

岡山に移住して7年半ほどが過ぎました。そのうち2年半は移住の目的であった仕事に励んでいたものの、結果的に消滅しました。その後の半年間は縁も所縁(ゆかり)もない地域で新たな仕事を作るために動くしかなく、やっと東京での経験を活かせる機会を得ました。

そのときのことを振り返って、「信じるものは足元をすくわれる」と冗談が言えるまでに精神的にも回復することができて、徹底的に企画を作って準備を進め、あとは実施するだけという段階を迎えました。

その瞬間に、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が始まり、それから3年間は何もできないまま過ごすこととなりました。仕事先は代表的な社会福祉法人で、人との触れ合いが必要なことであっただけに、少しの接触もできない状況となって、自分としては“足元がすっぽりと抜けてしまった”という感覚でした。

何もできないといっても、次なる機会のために準備をすることはできました。せっかく閉じこもって過去を整理して積み重ねていく機会が得られたことから、健康に関する講習テキストを作成しては、テストランとして身近なところで講習をしてみて、まるで修行のように日々の遂行を重ねてきました。

コロナ明けから1年ほどが過ぎた今、岡山で活動できた期間を考えると、まるで1年ほど前に移住したようなものですが、その間に時は過ぎ、古希まで半年と少しになりました。

日本人の医療費の研究をしてきて、70歳のときの健康状態が健康寿命にも生涯に使う医療費にも大きな影響を与えることがわかりました。日本人の生涯医療費は70歳までと、70歳を過ぎてからの金額がほぼ同じとなっています。

その前の8年間の生活が、健康度に特に影響を与えることが研究によってわかっていただけに、その期間を“足踏み状態”で過ごすことになって、心身ともに苦しい時期を身をもって体験することになりました。

その足踏み状態の中でも、今までにないような早起きをして、新たな集まりに顔を出して、再スタートをするまで修行のように過ごしてきました。その集まりで、さまざまな出会いをしてきた中で、「年齢を重ねてきても花開いたと感じることがないのは、理解して活かしてくれる人と出会えていないだけ」と話してくれた方がいました。

その言葉というかアドバイスを信じて、出会いが実際にあるまで歩みを止めないことにして、考えて書き、準備を積み重ねていくこととして、今日まで進めてきました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ネットワークビジネス」という言葉を聞いて、本来の意味である人をつないで情報や資産を互いに共有し合うビジネスを思い浮かべ、小さなネットワーク(パーソナルネット)をつないで大きなネットワーク(インターネット)として利用するビジネスだと理解する人は、かつては多く存在していました。

ところが、今では別の意味で使われることが増えてきたことから、マルチ商法(実際にはマルチまがい商法)のことだと理解する人が多くなり、本来の意味のほうを説明するときには、情報ネットワークビジネスやITネットワークビジネスと言わないといけないという困ったことも起こっています。

このような意味の取り違えのために、情報ネットワークとして健康に関わる情報や健康に関わる商品を販売することを目指して仕事の依頼をしたつもりであったのに、紹介された人が別の意味の“ネットワークビジネス”の関係者ばかりで話がおかしくなってしまった、ということがあります。

その両者から「困った!」という相談を受けて、それこそ困ってしまったことがあります。両者ともに健康食品の販売で知り合った人で、販売する先こそ違っていても、同じ知識と同じ認識がある人でした。

私が積極的に紹介したわけではなくて、私が講師を務めたサプリメント科学の講習の場に、両者が参加していて、知り合ったことを後で報告されて、互いに害になることはないだろうと以後の付き合いを反対しなかっただけのことです。

両方のネットワークビジネスの用語ともに、人が網の目のように関連をもって、商品販売を進めていくので、関係を断つのではなく、互いに活用するところは活用するといった関係性でもよかったのでしょうが、両者ともに直接的に求めたメリットを、すぐにもたらしてくれる人ではないと判断して離れていくことになりました。

既存のビジネスがあると、それに参加するという考え方をしていると、少しでも想像と違っていると離れるという判断をすることがあるのは普通のことかもしれません。しかし、既存のビジネスが誕生して、社会に受け入れられるようになり、今も続いているとしたら、そこには仕組みがあり、学ぶべきところもあるかもしれません。

その発想で、日本の独自のネットワークをビジネス化するモデルとなるものに、家元制度があります。これについては別の機会に考察することにします。
〔小林正人〕