inpane9 足場が消える不安

よいことは、いつまでも続くと思いがちであり、そう願うのは当たり前の感覚です。ところが、そうはいかないのが世の中で、変化が急速に進んでいる時代には「常に足場が失われる変化を考えて備えておく」という心構えが必要になります。

レコードからCD(コンパクトディスク)に時代が移ったときに、レコードに関連する業界では「レコード針の教訓」が話題にのぼりました。CDは今ではコンピュータ用の“記憶媒体”(CD−ROM)として認識する人が多くなりましたが、初登場(1982年)のときはレコード代わりの“記録媒体”でした。

CDのテスト版がドイツで製造されてから、わずか1年のことであったので、まだ一般販売は先のことと思って、レコードの音質を高めることに注力している人も少なくない状況でした。

レコードで最も音質に差が出るのはレコード針で、使い始めた当日から摩耗が始まり、音質は低下する一方でした。だから、摩耗を減らすことに一生を捧げた研究者もいて、最高品質のレコード針が開発できたときには、1982年10月1日のCDの日本の発売日を過ぎていたという話です。

そのような人生を賭けて取り組んできたことの需要がなくなる、まるで足場が消えた(足元が失われた)ようなことにならないように、いかに情報収集が重要かということを伝えるときの逸話として使われています。

クラシック音楽の世界に仕事の一環として(趣味ではなくて)大学生の時から関わってきましたが、その時から7年後の大転換でした。レコード会社を回ってLP盤を集めてきて、これを聴いて評論の下原稿を書くというゴーストライターのような仕事でしたが、持って帰るのがコンパクトなCDになって随分と軽く、楽になりました。

CDの記録時間は74分42秒が当時は限界とされていて、これは世界的な指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンがベートーヴェンの「交響曲第九番」が収まるようにと希望したことから決まったとされています。

同じ曲であっても指揮者、レコード会社(CD会社ではなく今でもレコード会社と呼ぶ)でも違っていて、この話は伝聞ではなく、カラヤンから直接言われたソニーの担当者から聞いたことです。
(このことはソニーの社史にも書かれています)
〔小林正人〕